1983年型ランチア モンテカルロ スパイダー
「クラシックカーって実際に運転してみると、どうなの……?」という疑問にお答えするべくスタートした、クラシック/ヤングタイマーのクルマを対象とするテストドライブ企画「旧車ソムリエ」。今回の主役は、現在では語られる機会も少なくなったランチア「モンテカルロ」だ。「ピッコロ(小型)フェラーリ」と呼ばれることもある、イタリアの隠れた佳作をご紹介しよう。
もともとはフィアット・ブランドでリリースされるはずだった?
1975年のジュネーヴ・ショーにてデビューした「ベータ モンテカルロ」は、量産FF転用ミッドシップの元祖ともいうべきフィアット「X1/9」のコンセプトを上方移行した、ミドル級ミッドシップスポーツ。
「X1/20」の社内コードネームとともに開発がスタートした当初は、X1/9の兄貴分にあたるスポーツカー、あるいは「124スパイダー」の後継モデルとして、フィアット・ブランドで販売することが予定されていたというが、結局はドライブトレインの供給源となったランチア「ベータ」の1バリエーションモデルとしてリリースされることになった。
ボディのデザイン/コーチワークは、フィアット124スパイダーと同じく名門ピニンファリーナが受託。同社のレオナルド・フィオラヴァンティ/パオロ・マルティンのコンビがフェラーリ「BB」などのエッセンスを巧みに生かした流麗なプロポーションとするいっぽう、同時期に開発が進められていたランチア「ガンマ」と共通のデザイン言語も与えられ、黒いプラスチックをあしらったノーズなどのディテールによって、サイズ相応の可愛らしさも与えられた魅力的なスタイリングを実現していた。
横置き搭載されるエンジンは、ベータのトップモデル「2000」用ユニット、排気量1995cc直列4気筒DOHCを118psまでチューンしたもの。弟分のフィアットX1/9と同様に、ダンテ・ジアコーザ式の横置きドライブトレインとともにミッドシップに搭載した。
生産台数は7798台に留まるもコアなファンは多く存在
ところが、予想以上に高価になってしまったことも相まって、ランチア首脳陣の期待ほどには実績が上がらなかったことから、1978年初頭にいったん生産を中止。1980年、ベータから独立した「モンテカルロ」のモデル名に変更されたかたわら、大規模なマイナーチェンジを受けて2度目のデビューを図った。
「セリア・セコンダ」(2ndシリーズ)とも呼ばれる新生モンテカルロは、この時期のC.I.(コーポレート・アイデンティティ)戦略に合わせてラジエターグリルをランチア伝統の盾型スタイルに換えると同時に、斜め後方の視界を確保するためリアクオーターのフィンにはウインドウが設けられた。
また、かなり斬新な意匠だった13インチのアロイホイールは、14インチに拡大されると同時にベータ クーペなどと共用のクラシカルなものに換装。合わせて、ブレーキディスク径も拡大されたという。
さらには、エンジンも圧縮比を上げるなどのチューンで若干パワーアップが図られ、120psとされた。ところが、これらの措置をもってしても売れ行きは好転することなく、1984年ごろには静かにカタログから消えることになったという。
その生産台数は総計7798台(ほかに諸説あり)と、フィアット/ベルトーネ両ブランド総計で約16万台が生産されたX1/9とは比べるべくもなかった。
しかし美しいスタイリング、あるいはミッドシップのシャープなハンドリングには当時からコアなファンも多く、さらに現代ではクラシックスポーツカーの仲間入りを果たしつつあるようだ。
くわえて、1970年代末のWEC耐久選手権でタイトルを獲得した「ベータ モンテカルロ ターボGr.5」や、グループB時代のWRCにおける初代チャンピオンカー「037ラリー」など、モータースポーツ界を席巻したマシンたちのベースモデルとなったことも、決して忘れてはなるまい。