初代以来のプロポーションを継承した最後のZ
ところでZ31型フェアレディZは、今から振り返れば、初代S30型以来のZ(ズィー)Carのプロポーションを受け継いだ最後のフェアレディZでもあった。ロングノーズ&ショートデッキであるのはそれまでと同じだったが、空力はS130型のCd値=0.36から0.31へと大幅に向上(欧州仕様車はエアロパーツの装着で0.30を達成していた)。
2シーターと2by2の2つのボディタイプが用意されるのもそれまでと同じで、S130型とはホイールベース(2シーター=2320mm、2by2=2520mm)も変わらず。ただしトレッドはフロント+30mmの1415mmに、リアは+55mmの1435mmへと大きく拡幅された。Tバールーフも3L、2Lともに当初から用意があった。
インテリアについては、S130型の延長線上といった印象で、メーターフード左右には、当時のトレンドを反映させたクラスタースイッチが置かれた。インパネ中央の補助メーターが、S30型、S130型と続いた「3連」が2連になってしまったのは、当時、残念に思われた箇所のひとつ。
直6インタークーラーターボも追加された
一方で1985年10月になると、世界初のセラミック製タービンロータ(慣性質量が低減されレスポンスを向上させられた)を使ったインタークーラー付きターボを組み合わせた直6ツインカムのRB20DET型を搭載をする200ZRが登場。180ps(ネット)/23.0kgmの性能を発揮、カタログに「パワードリフトも意のままだ」などと見出しを入れるほどの走りをアピールした。
さらに1986年10月には、ビッグマイナーチェンジを実施。NDI(北米にある日産のデザイン拠点)の手により大きくイメージチェンジを果たした目を惹く外観へと一新された。このときに3L系はワイドフェンダーにより全幅を1725mmとした専用ボディをまとい、2Lと差別化した(気がつきにくかったが、2Lはそれまでと同じフェンダーが採用された)。
スポーツカー然としたドライバビリティはなかなかワイルドなものだったが、ガーニッシュとリアコンビランプを真一文字に繋げたリアビューなどじつにクールだった。
この頃はちょうど「クルマの部分アップの写真を長ダマで撮る」のが流行で、クルマ雑誌の表紙にもよくそういう写真が使われていた。筆者もセンシティブシルバー(M)の広報車を借り出し、海バックでキヤノンF-1に135mmのFDレンズを付け、リアから狙ったカットをモノにしては暑中見舞いのポストカードか何かにしたのを思い出す。
なお最後のこのマイナーチェンジでは、V6の3Lツインカム24バルブのVG30DE型(190ps/25.0kgm)も新設定された。