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日産3代目「フェアレディZ」はV6採用で時速250キロ達成! 後期型では未来的なスタイルに進化しました【カタログは語る】

ユニークなパラレルライジングヘッドランプを搭載

パラレルライジングヘッドランプ。これは日産「フェアレディZ」として2度目のフルモデルチェンジ、1983年9月に登場した3代目Z31型に採用されたヘッドライトの呼び名だ。その名のとおり平行したリンクでランプユニットを上下に昇降&格納させる仕組みのもの。マツダ「サバンナRX-7」が採用した、弧を描いてランプが起き上がる一般的なリトラクタブル式とは違う動きだっただけでなく、ランプ自体は固定でフラップのみ開閉する初代いすゞ「ピアッツァ」、初代ホンダ「バラードスポーツCR-X」などとも異なる凝ったものだった。外から見た形状はノーズ部分の凹みの中にヘッドライトがあり、それは初代以来のフェアレディZのデザインの継承とも見てとれた。

世界最高レベルを目指してV6エンジンに一新

いきなり細かすぎる部位の話から切り出したが、3代目Z31型は、それまで同様に北米市場を意識したZらしさは保ちつつも、「欧州仕様で250km/hの最高速をクリアーし、世界最高レベルの高性能を実現することが、ニューフェアレディZ開発の大きなテーマ」(カタログの文面より抜粋)でもあった。

そこでZ31型では、搭載エンジンもそれまでの直列6気筒(L20E、L28E系)から一新。新たに選ばれたのは、当時の日産の新世代エンジンのひとつとして登場間もないV型6気筒のVG系だった。もともとこのVG系エンジンはZ31型登場の半年前の1983年6月、Y31型「セドリック/グロリア」の登場とともに世に出たエンジン。そしてセド/グロに次いで、Z31型フェアレディZにも搭載されたのだった。カタログには「世界最高レベルのポテンシャルを秘めた、新開発《プラズマ》VG30E・TとVG20E・Tエンジン」と見出しがつけられており、ともにターボ付きとしていた点が特徴。

スペックはVG30E・T型が最高出力230ps/5200rpm、最大トルク34.0kgm/3600rpm、VG20ET型が最高出力170ps/6000rpm、最大トルク22.0kgm/4000rpm。カタログには両エンジンの性能曲線が載せられているが、3LのVG30E・T型は、1600rpmあたりから30.0kgmを超えるトルクの立ち上がりが読み取れる。また同じページにはリッターあたりの馬力とトルクも紹介されており、このVG30E・T型は77.7ps/L、11.5kgm/Lと、2代目S130に搭載されたL28E型(56.3ps/L、8.5kgm/L)から、大きく性能向上を果たしていたこともわかる。VG30E・T型搭載車では5速MTが用意されていたのも見逃せない。

サスペンションはフロントがストラット式、リアがセミトレーリングアーム式と形式上はS130型と共通ながら、設計は新しいものだった。手元のスイッチで手動により減衰力の切り替えが可能な3ウェイアジャスタブルショックアブソーバー(登場時、世界初とうたわれていた)も採用された。ブレーキも3Lモデルでは、ディスクブレーキのローター径がS130型に比べフロントが252mm→274mm、リアが258mm→290mmに大径化されるなどしている。

初代以来のプロポーションを継承した最後のZ

ところでZ31型フェアレディZは、今から振り返れば、初代S30型以来のZ(ズィー)Carのプロポーションを受け継いだ最後のフェアレディZでもあった。ロングノーズ&ショートデッキであるのはそれまでと同じだったが、空力はS130型のCd値=0.36から0.31へと大幅に向上(欧州仕様車はエアロパーツの装着で0.30を達成していた)。

2シーターと2by2の2つのボディタイプが用意されるのもそれまでと同じで、S130型とはホイールベース(2シーター=2320mm、2by2=2520mm)も変わらず。ただしトレッドはフロント+30mmの1415mmに、リアは+55mmの1435mmへと大きく拡幅された。Tバールーフも3L、2Lともに当初から用意があった。

インテリアについては、S130型の延長線上といった印象で、メーターフード左右には、当時のトレンドを反映させたクラスタースイッチが置かれた。インパネ中央の補助メーターが、S30型、S130型と続いた「3連」が2連になってしまったのは、当時、残念に思われた箇所のひとつ。

直6インタークーラーターボも追加された

一方で1985年10月になると、世界初のセラミック製タービンロータ(慣性質量が低減されレスポンスを向上させられた)を使ったインタークーラー付きターボを組み合わせた直6ツインカムのRB20DET型を搭載をする200ZRが登場。180ps(ネット)/23.0kgmの性能を発揮、カタログに「パワードリフトも意のままだ」などと見出しを入れるほどの走りをアピールした。

さらに1986年10月には、ビッグマイナーチェンジを実施。NDI(北米にある日産のデザイン拠点)の手により大きくイメージチェンジを果たした目を惹く外観へと一新された。このときに3L系はワイドフェンダーにより全幅を1725mmとした専用ボディをまとい、2Lと差別化した(気がつきにくかったが、2Lはそれまでと同じフェンダーが採用された)。

スポーツカー然としたドライバビリティはなかなかワイルドなものだったが、ガーニッシュとリアコンビランプを真一文字に繋げたリアビューなどじつにクールだった。

この頃はちょうど「クルマの部分アップの写真を長ダマで撮る」のが流行で、クルマ雑誌の表紙にもよくそういう写真が使われていた。筆者もセンシティブシルバー(M)の広報車を借り出し、海バックでキヤノンF-1に135mmのFDレンズを付け、リアから狙ったカットをモノにしては暑中見舞いのポストカードか何かにしたのを思い出す。

なお最後のこのマイナーチェンジでは、V6の3Lツインカム24バルブのVG30DE型(190ps/25.0kgm)も新設定された。

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