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憧れの日産R31「スカイラインGTS-R」歴は15年! R30「RS」3台から乗り継ぐオーナーは元日産マンでした

グループAのホモロゲーションモデルとして800台限定で生産されたGTS-R

免許を取得した年にデビューしたスカイラインGTS-Rに恋焦がれ続けて

新潟県で2026年の開通を目指し工事が進められている難所越えの新観光ルート「八十里越街道」。今からその機運を盛り上げていこうと、2023年7月30日(日)に開催されたのが「いい湯らてい夏フェス」だ。「ノスタルジックカー展示」と題されたヒストリックカーのパレードラン&展示イベントには県内から、年式も国籍も異なる21台のヒストリックカーが集まった。うち約半数の11台が新旧の国産車だった中でもいぶし銀の存在感を放っていたのが、江口政和さんの1987年式日産「スカイラインGTS-R」だ。

800台限定で生産されたGTS-R

7thスカイラインがマイルドな4ドア・ハードトップのハイソカー路線でデビューしたものの、「やはりサーキットで暴れてこそのスカイライン」というファンの気持ちに応えて、急遽ラインアップに加わったのがスポーティな2ドア・スポーツクーペのGTSシリーズ。なかでもグループAのホモロゲーションモデルとして800台限定で生産されたGTS-Rは、当時のクルマ好きにとっては極めつけの1台であった。

「今はUターンしてこちらで暮らしていますが、以前は日産に勤めていて神奈川の座間で働いていました」

という江口さん。といっても、この個体はそのときに手に入れたクルマではない。

「免許を取得したのが1987年で、GTS-Rがデビューしたのもちょうど同じ年だったので、とても印象に残っています。とはいえ当時はまだ社会人になって間もない頃で、憧れは大きかったものの実車を手に入れるにはハードルが高かったです」

結局当時はGTS-Rを手に入れることはできなかったものの、スカイラインRS(DR30)を3台ほど乗り継いできたというから、やはり江口さんは生粋のスカイライン・フリークなのだろう。その後、バイク趣味にハマったり、家族が増えたりという日々を送りながら、ある転機が訪れる。

走行わずか1.2万キロの個体を15年前に購入

「あるとき仲間内から“GTS-Rを手放してもいいと言っている人がいる”と聞いて、現車を見にいくことにしました」

するとそれは長い間ガレージに保管されていた固体で、走行距離もわずか1万2000kmほどだったという。内外装のヤレもほとんど見られず、江口さんの長年の思いを成就させるのに相応しいコンディションだった。こうしてついにGTS-Rのオーナーとなった江口さん。いまから15年ほど前のことだ。

「整備が終わったらサーキット走行会などにも参加しようかと思ったのですが、周りからは“もったいないからやめておけ”と(笑)」

そんなアドバイス(?)もあって、最近では地元のヒストリックカー・イベントへの参加を中心に活動している江口さんとGTS-R。イベント時にはブラックレーシングのアルミホイールを履いていたが、

「同じ8本スポークでも、ワタナベよりブラックレーシングの佇まいの方が好みなんですよね。もちろん純正オプションのBBSホイールも自宅に温存してます」

と、そんなマニアックなこだわりも素敵だ。

機関も内外装も極上コンディションをキープ

インパネやステアリングなど、室内の樹脂パーツ類が湿気と反応してベタつく「加水分解」をおこすのは、この年代のクルマによくみられる症状だが、江口さんのGTS-Rには全くそんな劣化は見られない。表面が傷みやすいと言われる純正のモノフォルムバケットシートもヤレなどみられず非常に綺麗。レース参戦を前提に手を加えられたRB20DET-R型エンジンもいまだ快調だ。

「仕事柄、クルマのメンテナンスには気を遣っています」

という江口さんの言葉どおり、機関内外装ともに極上のコンディションを保っている1台。この後、R32 GT-RがデビューしグループAレースで無敵の快進撃を始めるのも、その前段にこのGTS-Rがあればこそで、そんなメモリアルなヒストリックカーを完璧な状態で維持し続けている江口さん。彼の情熱に、全てのクルマ好きは感謝すべきだろう。

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