ごめん、チンクエチェント!
名古屋の「チンクエチェント博物館」が所有するターコイズブルーのフィアット「500L」(1970年式)を、自動車ライターの嶋田智之氏が日々のアシとして長期レポートする「週刊チンクエチェント」。第18回は「ゴニョン(仮称)、煙を吹く」をお届けします。
バックミラーを見ると真っ白い煙がたなびく
2021年4月22日の19時を少し過ぎた時間。僕は大阪方面に向かう新名神高速道路、菰野インター手前2km付近のガードレールの外側に立っていた。目の前の路肩にヘタリ込んでるチンクエチェントは、リアのエンジンフードのルーバーから黒い涙を流し、エンジンの真下あたりにオイル溜まりができてるように見える。このクルマに乗ってトラブルに遭遇したのは初めてというわけじゃなかったが、これはもうさすがに走れないやつだ。
救援に来てくれるというチンクエチェント博物館の深津館長のフィアット パンダとレッカーを待つ間、そんな状況にあるというのに、僕はぼんやりとこんなことを思ってた。
「いや、このクルマ路肩も似合うよなぁ……」
──と、ここまではこの『週刊チンクエチェント』の第1回目の冒頭の文であり、同時に前回である第17回の続きでもある。九州は熊本に向かって……っていうかその日の目的地である神戸のおふくろ宅に向かって新名神をひた走り……っていうかノタノタゆっくり走り、新四日市ジャンクションを過ぎたあたりでオイルの匂いがしはじめて、濃厚になってきた次の瞬間、僕はバックミラーの中に何を見たのか。
煙、である。白い煙が後方に向かってたなびき、広がっていく、思い出すだけで身の毛がよだつ光景だ。エンジンはまだ回ってる。推進力もある。エンジンブローではない。けど、すぐにクルマを停車したい。停めなきゃいけない。なのに路肩がない。左車線のすぐ外側はガードレール。横幅たった1320mmのチンクエチェントを車線にはみ出さずに停める余地がない。夕方が近づき、交通量がこれから増え始めるタイミング。物流のトラックというトラックが、やたらと迫力たっぷりに思える。こんなところに停車したら渋滞の原因になっちゃうばかりか、生命の危機だ。……なんてことがわずか数秒のうちに頭の中でギュンギュン駆け巡り、僕は決断した。
ごめん、2気筒エンジン! ごめん、チンクエチェント!
そう、チンクエチェントを停車させても車線にはみ出さず、クルマから降りた自分がある程度以上安全に待機していられる路肩があるところまで、ハザードを点けながら走らざるを得ないと考えたのだ。幸いなことにというか不幸なことにというか、決断した瞬間から1km少々のところで路肩が広がってチンクエチェントなら何とか収まる余地が生まれ、その奥のガードレールと壁の間にそれなりに安全に待機できそうなところもあった。1秒でも早くエンジンを停めたかったので急いでキーをOFFにし、惰性でちょうどよさそうなところまで転がして停車する。
ひと息ついてクルマから出て、リアのエンジンフードを開け……るまでもなく、オイルがほとんど出きってしまったことが見てとれる。ルーバーというルーバーから黒い筋がしたたり落ちて、エンジンの真下にはオイル溜まりができている。それでもフードを開き、スーパーオートバックスで懐中電灯を買い忘れちゃったからiPhoneの灯りを全開にして中を覗いてみると、エンジンルーム中にオイルが飛び散りまくってるのが判る。スーパーオートバックスで買ったウエスを引っ張り出してきて、ダメモトもいいところでオイルのレベルをチェックしてみると、ほぼゼロだ。ぜんぶ出ちゃってる。これは……ダメだな。見た感じでもブローはしてないけど、どこがどう破損してるのかは見つけられないし、見つけられたとしても、丸腰だしウデはないしで、どうすることもできない。このまま九州に向かうのは諦めるしかない。そうだ。ゴニョン(仮称)と僕の初めての旅は、チンクエチェント博物館を出発してからたった48kmで潰えてしまったのだった。
NEXCOの対応に救われる……
まずは高速道路の緊急ダイヤル「♯9910」に連絡をして、故障で路肩にクルマを停めてることを伝える。驚いたことに「フィアットの方ですね。こちらでも確認できています」と。どこかに隠しカメラでもあるのか? 「今、NEXCOの緊急車両が向かってますので、三角表示板を出して、運転手さんはガードレールの外側で待っていてください」と指示される。「わかりました。御迷惑をお掛けします」と答えて電話を切った……。
状況報告のために深津さんに電話を入れる。ちょうどそろそろ帰宅どきでパンダに乗って帰ろうとしていたタイミングだったにも関わらず、積載車と診てもらうスペシャリストの手配を請け負ってくれ、さらにはパンダで迎えに来てくれることになった。
NEXCOの緊急車両がわりと早いタイミングで到着し、赤いカラーコーンをクルマの後方20mぐらいのところに置いてガードしてくれた。さらにビニールで包まれた何かを手渡してくれたので「何っすか、これ……?」と問うと、「蛍光ベストです。危ないのでそれを着用してガードレールの外側にいてください」という。「わかりました。で、どうやって返却すればいいですか?」と問うと、「返却は不要です。こうしたトラブルに遭われた場合、差し上げるようにしてるので」と返ってきた。やるじゃん、NEXCO。というか、対応してくださったNEXCOの皆さん、とっても温かかったのだ。高速道路の料金って安くないと思ってたけど、こういうことがあるとすんなり納得できてしまう。
九州にはアバルト595モメントで行くことに
そして待つこと1時間半近く。まず、深津さんがパンダで到着。さほど遅れることなく積載車も到着。もはや完全に陽が落ちた新名神の路肩でゴニョン(仮称)を積んでもらい、僕は深津さんのパンダに乗せてもらい、ゴニョン(仮称)は工場へ運ばれていき、僕は名古屋まで連れ帰ってもらうことになった。
あ。今夜、寝るところがないじゃん……。iPhoneの「じゃらん」アプリで博物館からそう遠くない金山のビジネスホテルを予約する。今度はたいして高級じゃないフツーのビジホが見つかった。あとは僕がどうやって熊本まで行くか、だ。
「深津さん、機材車のハイエースに僕も積んでいってもらう余地ってあります?」
「それがダメなんですよぉ。座席はすでに5人フル乗車だし、その後ろは機材満載ですから」
「ですよねぇ……」
「まぁウチ(博物館)にはいつも何かしらあまってるクルマがありますから、それを使ってもらうことになると思いますよ。明日、博物館で引き渡しますから。まだ何になるかわからないけど」
「ありがとうございます。それにしてもゴニョン(仮称)、どこが壊れちゃったんですかねぇ……? iPhoneの懐中電灯アプリ、ないよりはマシだけど、暗くてまったく役に立たなかったし」
「ひと目見てここじゃどうにもできないと思ったから、早く積み込んであそこから退去することだけ考えて、僕はあんまり見てないんですよ。でも、どこかオイルまわりの部品であることは間違いないでしょうね」
翌日の昼前に博物館に再びお邪魔することにして、金山のホテルに入る。1泊分の時間をここで消化しちゃったわけだから、岩国のホテルはキャンセルして、翌日は博物館から神戸のおふくろ宅まで、そしてイベント前日は神戸から一気に熊本を目指すことに決めた。
ふと時計を見ると、30分10本勝負みたいな感じになりそうだけど、大好きな『風来坊』の手羽先とビールで夕飯を済ますことができそうだったから、速攻で向かう。いや……美味い。この手羽先のおかげで明日も生きていける。そんなふうに感じたものだ。ビックリはしたけどとりたてて大きなショックを受けてたわけでもないが、こういうときの手羽先にビールは心に沁みる。
翌日、博物館に行ってみると、僕が単独で熊本に向かうための車両は、アバルト595モメントというその2ヶ月前に80台限定で発売された貴重といえる1台だった。積算計をチェックすると、まだナラシすら終わってない段階だった。595コンペティツィオーネに機械式LSDを組み込んだようなモデルで、間違いなく走るのが楽しいクルマだ。
何やかやとやってるうちに昼メシの時間になって、伊藤さんと深津さんが山本屋総本家に連れていってくれた。味噌煮込みうどん、最高に美味だった。前の日のあんかけパスタ、夜の手羽先、そして山本屋総本家の味噌煮込みうどん。この3つの名古屋メシのおかげで、僕は595モメントに乗って楽々と熊本・阿蘇へと向かい、元気よくトークの仕事をこなすことができた。関門海峡の写真とクラシック・チンクエチェントが並んでる写真は、その証拠である。
■協力:チンクエチェント博物館
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