超大物がファーストオーナーともなれば評価も高い
さる2023年8月17~19日、「モントレー・カーウィーク」の一環としてRMサザビーズ北米本社がカリフォルニア州モントレー市内で開催した「Monterey 2023」では、バーンファインドされたクラシックフェラーリによる特別企画「Lost & Found Collection」が話題を呼んだのは記憶に新しい。もちろん、バーンファインド・コレクション以外にもフェラーリの出品は数多く見られたのだが、今回はその中から1台の「ディーノ246GT」を紹介したい。
ロック界のスーパースターも愛したディーノ246GTとは?
じつはこのシルバーのディーノは、世界的スーパースター「ザ・ローリングストーンズ」を、ミック・ジャガーやブライアン・ジョーンズとともに結成したレジェンド的ギタリスト、キース・リチャーズが、かつて長年にわたって愛用した個体なのだ。
ロックンロールという音楽ジャンルが世界を席巻したころから、その分野のスーパースターたちはイタリア製のスーパーカーを熱愛してきた。だから、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズが20世紀を代表する偉大なスポーツカー、ディーノ246GTに傾倒したという事実も驚くほどのことではないだろう。
1969年にデビューしたディーノ246GTは、その前年、1968年に生産が開始された「ディーノ206GT」のスケールアップ・改良版である。
206GTは、フェラーリがF2レースのホモロゲートを受けるために開発し、フィアットによって生産されるバンク角65度の2L V6エンジンを、ピニンファリーナのデザインによる総アルミ製ボディに搭載した、フェラーリ初の市販ミッドシップスポーツ。当時の常識を超えた驚くべきハンドリングに、芸術的とも称される美しいスタイルで世界に衝撃を与えた。
そしてフェラーリは、エンジンを2.4Lに拡大するとともに、ボディの基本骨格およびエンジンブロックをスティール化。さらにホイールベースを60mm延長することで実用性や生産性を向上させたディーノGTの本命「246GT」へと進化させる。
このような経緯のもとに誕生し、スポーツカー史上屈指の名作と評されることになったディーノ246GTだが、その生産期間中にはいくつものアップデートを受けている。
まだハンドメイド要素の強かった最初期モデルの「タイプL」では、206GTから踏襲されたセンターロック+スピンナーのホイールを採用していたが、スカリエッティでのシリーズ生産を期して1971年初頭から生産された「タイプM」以降は、5穴のボルトオンタイプへと変更。標準指定のステアリングホイールがウッドから革巻きに変更されるなど、インテリアにも近代化が施された。
また同じ1971年の後半から生産開始された「タイプE」では、ボディパネルをプレス鋼板に改変。さらにシリーズ中途には、前後のバンパー形状も206GT以来のラジエーターグリルにくわえ込むスタイルから、グリル両脇に取り付けられるシンプルな意匠に変更されるなど、そのマイナーチェンジの内容は多岐にわたるものだった。
元キース・リチャーズの愛車という付加価値は、落札価格にも反映される?
今回「Monterey 2023」オークションに出品されたシャシーナンバー#03354は、246GTの最終的かつ最もメカニカルな進化を遂げた「Eシリーズ」モデル。2.4L V6エンジンは最高出力195psを発生し、5速ギアボックスが組み合わされた。
1972年2月10日にラインオフした#03354は、新車時代から「アルジェント・メタリッツァート(シルバーメタリック)」のボディに、「ネロ(黒)」のコノリーレザーで仕上げられた。またアメリカ仕様として生産されたことから、ヴェリア・ボレッティ社製メーターがマイル表示となっているのが特徴である。
フェラーリの世界的権威であるマルセル・マッシーニ氏が管理するレポートによると、このディーノ246GTは当初、ミシガン州のさる工業会社に販売されたものの、実際には1972年6月にビル・ハラーの「モダン・クラシック・モーターズ」を介してカリフォルニア州に納車。初代オーナーは、キース・リチャーズその人であった。
リチャーズは1975年にディーノを母国イギリスに送り、「GYL 157N」というプレートで登録。そののち、彼はヨーロッパ・ツアー中の個人的な移動手段としてこのディーノを使用したとされる。そしてリチャーズは、その後の10年間で2万5000マイル(約4万km)以上の走行距離と、かつては素行の悪さでも知られた彼らしい、少なからぬ数のエピソードを積み重ねたと言われている。
じつは一時期、日本にあった!
また、ローリング・ストーンズの元ツアーマネージャー、アラン・ダンから1986年4月25日付で送付された手紙のコピーが現在でも保管されており、リチャーズが最初に購入し、所有権を得たこと、日本のプライベートコレクションに売却された際の走行距離(2万5122マイル)などが確認できる。
日本国内では、2009年の「BP東京ノスタルジックカーショー」などに展示されたことなどが確認されているが、その後2014年にヨーロッパに戻されたディーノは別の有名ミュージシャン、イギリスのEDMバンド「ザ・プロディジー」共同創設者であるリアム・ハウレットが手に入れることになった。
ハウレットは購入直後に、ロンドンの著名なフェラーリ・スペシャリストに依頼して、6万ポンド(当時レートで約1000万円)をかけてV6エンジンをリビルド。さらにその後2人のオーナーのもとに渡っても入念なメンテナンスは欠かさず行われてきたようで、RMオークション北米本社の公式カタログ作成時、オドメーターに刻まれた走行距離は3万37マイル(約4万8000km)にのぼりながらも、1972年にリチャーズが新車で手に入れた時とほぼ同じ姿を現在に伝えている。
そして注目の落札結果だが、40万ドル~50万ドルに設定されたエスティメート(推定落札価格)に対して、今年に入ってからの246GTとしては比較的高価な43万4000ドル。日本円に換算すると約6300万円で、小槌が落とされることになったのだ。
ここ1~2年のディーノGTのマーケット相場は、たとえば206GTや最終期のアメリカ仕様246GTSに設定されたオプション仕様車「チェア&フレア」のような超希少モデル以外では落ち着いた傾向もあるようだが、やはりキース・リチャーズのような超大物がファーストオーナーであることが判っている個体であれば、格別の評価を受けるのは当然のことなのかもしれない。