海外メーカーの名前で売っているのに、じつは日本車!?
コスト削減から、大手自動車メーカーがクルマの骨格となるプラットフォームを共通化することも珍しいことではない。ということで今回は、じつはベースは日本車だけど海外メーカーのクルマとして販売されていたものを紹介していこう。
プラットフォームの共通化でコスト削減
きちんと説明していくととんでもない文字数が必要となるので、ごくごく簡単にいってしまうが、グローバル化が進んでいる現代では、コストをいかにして減らしていくのかというのは、製造業にとって重要な課題となっている。
それはクルマも同じで、だからこそ大手自動車メーカーはクルマの骨格となるプラットフォームを共通化することで、開発費の削減を実現している。もちろん、共通プラットフォームといっても、さまざまなカスタマイズができるよう考えられているので、同じプラットフォームだからといって乗り味や性格が同じ、というわけではない。
そんなプラットフォームの共通化から、じつは日本車と同じ骨格を使っている輸入車、というのもあたり前になってきた。そこで今回は、そういったクルマとともに、過去にもあったじつはベースは日本車だけど海外メーカーのクルマとして販売されていたものも紹介していこう。
メルセデス・ベンツ Xクラス:短命だったベンツのピックアップ
メルセデス・ベンツの「Xクラス」は、2017年に発売されたピックアップトラックだ。このクルマがつくられたきっかけは、2010年のダイムラーと日産ルノーアライアンスとの資本業務提携にある。そこから、たとえば「スカイライン」はベンツ製エンジンを搭載したりもしたわけだが、ベンツ側は北米で人気のピックアップトラック市場への進出を狙い、日産「ナバラ」のプラットフォームを利用したXクラスをつくることとした。
ただ、ベースとなったナバラのボディサイズはミドルレンジ。北米で人気となっているのは、ダッジ「ラム」とかフォード「Fシリーズ」、日産でいえば「タイタン」、トヨタは「タンドラ」といったフルサイズである。それもあってXシリーズは、メルセデス・ベンツが狙ったほどの販売台数を稼ぐことができなかった。
さらに、ミドルサイズのピックアップが人気となっている新興国、たとえば東南アジア市場においても、三菱の「トライトン」やフォード「レンジャー」などと比べると、仕向け地仕様の完成度が低く、いまひとつ受け入れられなかった。
実際このXクラスがどんなクルマだったのかは、乗ったことがないので判断できない。しかし写真を見る限りでいうと、豪華装備のいかにもメルセデス・ベンツ、という雰囲気はある。そこらへんがピックアップトラックを道具として使う新興国にはあわず、かといってファーストカーとして使う北米ではボディサイズが小さい、ということになってしまったのだろう。その後、2019年にメルセデス・ベンツは、乗用車/商用車部門とトラック/バス部門、モビリティサービス部門と組織を改編。そのあおりを食ったのか、2020年、Xシリーズは生産中止となってしまった。
アバルト124スパイダー:NBクーペ以来のロードスターターボ?
最初に、以下の文章は伝聞を多く含んでいる、ということをお断りしておきたいのだが、アバルト「124スパイダー」の元となったモデルはマツダのND型「ロードスター」である、というのは間違いがない。ではなぜ、このクルマが生まれたのか。ここからはほぼ伝聞だ。
アルファ ロメオには「スパイダー」というオープン2シーターカーがあるのだが、大ヒット作であった初代スパイダーは、105系「ジュリア」のオープンモデルとして1966年に開発され、マイナーチェンジを受けながら1971年にスパイダー・ヴェローチェとなり、さらなるマイナーチェンジを繰り返しながら、結局1993年までという長期にわたって生産されていた。
ピニンファリーナデザインの2代目は、フィアット傘下となっていたため、フィアット「ティーポ」のプラットフォームを利用した横置きエンジンのFFオープンモデルとなり、1993年から2006年まで生産された。3代目は「ブレラ」と同じくジウジアーロデザインとなり、2006年から2010年まで生産された。これもやはりFFレイアウトだ。
しかし、これは想像に過ぎないのだが、アルファ ロメオはもっと走りが楽しいスパイダーを求めたのではないか。このころ噂で、当時開発中であった新型ロードスターをベースとしたアルファ・スパイダーが出るのではないか、という話があった。実際、フィアットとマツダが提携したときには、アルファ ロメオブランドでクルマを出す、という発表もあったのだ。エンジンとボディデザインはアルファ ロメオで、骨格や配線などはマツダが担当するという話であった。
しかしそろそろ確定情報が聞こえてきてもいいのでは、というタイミングのちょっと前、アルファ ロメオの社内体制が大きく変わった。その新体制は、アルファ ロメオのブランド価値を高める、ということを大きな目標としていて、すでにプロジェクトが進行していたはずの「159」の後継モデルも含め、全車FR化を進める、と方針を変更したのだ。そして、ロードスターベースのアルファ・スパイダー、という噂もそのころから聞かなくなっていった。
その後、デビューしたのがフィアット124スパイダーである。日本ではスポーツグレードであるアバルト124スパイダーのみが販売されているが、ベースグレードのフィアット124スパイダーも含めて、骨格はND型ロードスターである。そこに載せられているのはアバルトのエンジン、といってもそのベースとなっているのは「ジュリエッタ」などにも搭載されている1.4Lターボ。ボディデザインはアバルトが手がけていて、ロードスターとはまったく違うものとなっている。どうしてこういうことになったのかは、噂でしかないので細かくは書かないが、おそらくドタキャンとか契約とか、もろもろな大人の事情があったのだろう。
このアバルト124スパイダーは、2016年のデビューから4年間、すべてマツダの工場で生産され、2020年に生産終了となった。何度か乗ったことがあるが、凄く楽しいクルマであることは間違いがない。しかも、オーナー取材などを数多くおこなっているが、それまでのイタリア車のように、わけもなく壊れた、という話も聞かない。ある意味、理想的なイタリア車といっていいのかもしれない。
アルファ ロメオ アルナ:日伊合作の大衆車
1980年代前半、イタリアのアルファ ロメオと日産は、合弁会社を設立してイタリア南部に工場をつくり、共同開発した小型車を生産した。共同開発といっても、プラットフォームは日産製。当時のアルファ ロメオは経営破綻寸前、といっていい状態で、ロクに新車開発をおこなえる状態ではなかったのだ。この合弁会社は、そんな窮地に陥ったアルファ ロメオの状態を表している、といっていい。
そんな窮地へと陥る要因のひとつとなったのが、やはりイタリア南部、ナポリ近郊ポミリャーノ・ダルコの工場で生産されていた、「アルファ スッド」の大失敗だった。スッドというのはイタリア語で南を意味する単語なのだが、このジウジアーロデザインを採用したスッドというクルマは、技術的にも優れた点がたくさんあったことから、販売は好調だった。
しかし、その品質ははっきり言って劣悪だった。とにかく、壊れるのだ。ボディは錆びるし電気系トラブルはあたり前。クーラーを装備すると確実にオーバーヒートしてしまう。それもあってアルファ ロメオというのは壊れる、というイメージが消費者の間に広がってしまった。ではなぜそんなに品質が悪かったのか。ひとつ上げられるのは、生産技術の低さや労働能力の低さにある。昔イタリアに行ったとき、いわれたことがある。南部の人間は仕事なんかしない。おれたち北部の人間が食わせてやってるんだ、と。それが本当かどうかはわからないが、しかし実際にスッドの品質は、ひどいものだった。
なのに、アルファ ロメオと日産の合弁会社は、イタリア南部に工場をつくった。おそらく、日産の生産技術を移管したかった、という狙いもあったのだろう。しかしN12系「パルサー」のプラットフォームを利用し、アルファ ロメオ伝統の水平対向エンジンを載せたこの「アルナ」は、デザインは日本車っぽく、故障の頻度はイタリア車並みという、悪いとこ取りのクルマとなってしまった。しかしもしも、この合弁事業をもう少し継続できていたら、クオリティの高いクルマがつくれたのかもしれない。実際アルナの開発時には、走りのブラッシュアップをするために徹底したテストがおこなわれ、フロントサスペンションなどはほぼ新設計といっていいものとなっている。
とはいえ、当時のアルファ ロメオや日産には、時間をかけて熟成させるだけの体力はなく、アルナの生産は1987年に終了し、合弁会社も早期に解散している。ちなみに、ベースとなったN12系パルサーにあった、パルサー・ミラノX1というグレードは、アルファ ロメオの本拠地であるミラノの名を使ったものとなっている。
シボレー クルーズ:見た目はワゴンRだが立派なアメリカ車
1981年、スズキとゼネラルモータース(GM)は、資本も含んだ戦略的な提携を結んでいた。これをGM側からみると、不得意分野といっていい小型車の開発や、アジア・オセアニア地域での販売面を期待してのもの、といえるものだった。
2001年、GMはスズキ車をベースとしたコンパクトカーを日本市場で発売した。それがシボレー「クルーズ」だ。スポーティ&タフネスをコンセプトとしてつくられたこのクルマの元となっているのは、初代の「スイフト」である。
スイフトはもともと、「ワゴンRプラス」のプラットフォームに「kei」の外板をセットすることでつくられた、いま風にいえばクロスオーバーSUV的なモデルだった。とはいってもその走りは鋭く、HT81S型スイフトスポーツは、ニュルブルクリンク24時間レースでクラス優勝したこともある。
そんなスイフトをベースにGMは、全長と全幅をわずかに拡大し、ゴールドのボウタイエンブレムをセット。ヘッドライトやテールランプも独自のものとし、ホイール径も拡大することで、スイフトよりもはっきりとしたタフさを演出している。
しかし販売台数は、期待したほどのものではなかったようだ。2008年の生産終了までに登録されたのは4万7000台強であり、2008年9月からはセダンへと大きく姿を変えた2代目がデビューしている。
アストンマーティン シグネット:基本性能の高さを誇るゴージャスなコンパクト
2008年10月、トヨタから革新的なAセグメントカーが発売された。大人3人と子供ひとり、または大人3人と荷物をという、3+1シーターを最大限コンパクトにまとめたクルマ、「iQ」がそれだ。
コンパクトなボディを実現するための構造は、独特なものだ。たとえばステアリングギアボックスは、一般的にはトランスミッションの前方に位置しているが、iQはトランスミッションケースの上に設置することで前後長を詰めている。燃料タンクもカーゴスペース下ではなく、シート下に置くことでオーバーハングを短縮。インテリアでは、助手席のダッシュボードを運転席よりも前にオフセットすることで、足もとスペースを確保。そういった工夫によって全長を最大で3000mmに抑えつつ、3+1シーターを実現している。
そんなiQに注目したのが、イギリスの高級車メーカーであるアストンマーティンだった。アストンマーティンの車種ラインナップは、V12エンジンを搭載した「DBS」や、まさに高級車というべき「ヴァンテージ」など、環境性能的には厳しいものが多い。そうすると将来的な企業平均燃費を考えたとき、不利になってしまう。そこで環境性能に優れる小型車を、と考えたとき、iQをベースとしたオリジナルカーの製作というアイデアが生まれた。
そこから2009年に発売されたのが、「シグネット」である。プラットフォームはiQをそのまま利用しているが、ボンネットやフロントバンパー、フェンダー、ヘッドライト、テールレンズなどをオリジナル化することで、アストンマーティンらしさを演出している。1.3Lの1NR型エンジンやトランスミッションなど機能面はトヨタ製そのままだが、消音材の追加やエンジンマウントの変更などによって、より高級さを実現している。
ちなみに販売価格は、500万円弱だった。iQはグレードにもよるが、130万円程度だったように記憶している。レザーインテリアとかでも200万円以下だったはずだ。そう考えると500万円というのはビックリのプライスなのだが、それでも当時の都内では、ちょくちょく見かけることがあった。これも名車のひとつ、といっていいクルマだろう。