コンパクトさを武器にした初代サバンナRX-7
1967年5月に発売され、1972年までに1176台が生産されたマツダ「コスモスポーツ」は、記念すべきロータリーエンジン搭載の市販車第1号だった。その後、ロータリーエンジンを搭載するFR車に「RX」のコードネーム(または輸出仕様車の車名)が付与されるようになり、初代「カペラ」(RX-2・1970年)、初代「サバンナ」(RX-3・1971年)、2代目「ルーチェ」(RX-4・1972年)、2代目「コスモ」(RX-5・1975年)と続いた。そんなRXの系譜を引き継いだのが1978年3月に登場した「サバンナRX‐7」だった。
スポーツカーと名乗らなかったRX-7
車名からも明らかだったように、初代サバンナRX-7は、1971年にロータリーエンジン専用車として登場したサバンナ(その系譜はさらに1968年の「ファミリアロータリークーペ」にまで遡る)の後継車の位置づけと理解できるモデルだった。
が、その実態は? といえば、サバンナという車名とロータリーエンジン搭載専用車という点こそ共通項だったものの、それ以外はまるで異次元のクルマ……そんなイメージすらあったのである。
今、この記事を書くために改めて1978年(昭和53年)3月の最初のカタログを手にして見ると、当時の空気感がジワジワと甦ってくる。昭和53年というと(いつもの筆者の思い出話で誠に恐縮だが)、運転免許証を取得してまだ1年と経たない頃で、筆者は生意気にも大学生の分際で、新車のいすゞ「117クーペ」をそれこそ意気揚々と乗り回していた時期だった。
そんな時にこのサバンナRX-7の登場を知り、あらかじめ自宅でCT誌やCG誌やMF誌やMM誌やLV誌やCD誌(たしか創刊号かプレ創刊号に)に目を通しジックリと「予習」をしたうえで117クーペでロードサイドのディーラーに乗り込み、ショールームで展示車を見せてもらいに行った。
そして予習の成果を披露して、センターパネルのシガーライターの横のシーソースイッチを押し、国産量販車では初のリトラクタブルヘッドライトを格納状態から起こして「よくご存知ですね!」と傍らに立つセールスマンに言わせたり……。そんな風にそこそこ長居をし、厚口の本カタログ(写真のカタログ)を貰うと、道端で最敬礼で見送ってくれるセールスマンの姿をルームミラーで確かめながらディーラーを後にしたのだった。
当時というと国産車でスポーツカーと呼ばれる車種はサバンナRX-7が登場するまでは日産「フェアレディZ」(S30)くらい。あとは広義にスポーティカーと捉えて、「セリカXX」や、ほかでもない(笑)117クーペもライバル車と見なされていた。
とはいえ当時はまだオイルショック、排気ガス規制の影が完全に消えたわけではなく、監督官庁への手前もあり、速くて高性能なスポーツカーが大手を振って登場するのは憚られる空気にあった。そこでサバンナRX-7も決して「スポーツカー」とは名乗らなかったのは有名な話。かといって、よく言われているように自らスペシャルティカーとも言っておらず、今回、半日かけて改めてカタログに目を通してみたが、説明的な文脈のなかで「スポーティな」の表現が1箇所見つかったのがせいぜい。そのかわりに、前述の自動車雑誌各誌は、歓迎と応援の気持ちを込めつつマツダの思いを代弁するかのように「紛れもなくスポーツカー」とズバッと紹介していた。