クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CLASSIC
  • マツダ歴代「RX-7」で一番自由なムードでデザインされた! いまも色褪せることないFD3Sはデビューからすごかった【カタログは語る】
CLASSIC
share:

マツダ歴代「RX-7」で一番自由なムードでデザインされた! いまも色褪せることないFD3Sはデビューからすごかった【カタログは語る】

投稿日:

TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

スポーツカーらしいストイックさにあふれるムードだった

今は令和だから、平成というとすでにひとつ前の元号ということになる。平成3年(1991年)12月に登場したのがFD3S型、3代目アンフィニ「RX-7」だった。ご存知のとおりアンフィニ名義だったのは、当時、マツダの5チャンネル構想から作られた販売チャネルのひとつ、アンフィニの専売車種の位置づけにあったからで、同じアンフィニの車種ラインアップにはMS-9(センティアの兄弟車)、MX-8(専用車種)、MS-6(クロノスの5ドアハッチバック版)、MPVが用意されていた。

見るからにピュアスポーツカーだとわかる3代目

ちなみに当時の広告展開をひととおり記しておくと「アンフィニのスポーツです。RX-7」「アンフィニのビッグセダンです。MS-9」「アンフィニのセダンです。MS-6」「アンフィニのRVです。MPV」と、雑誌などではラインアップの各車の周知を主目的とした、シンプルな表現の広告が打たれていた。

なおこのアンフィニ扱いの車種の車名はいずれもアルファベットと数字によるものとなっており、もともとアルファベットの車名だったRX-7もこの代からサバンナの呼称が外された。ロータリーエンジン専用車のサバンナは、直前のFC型まで、1971年の初代から数えると3代/20年続いた名称だった。

マツダRX-7のカタログ

ところでこの3代目RX-7は見るからにピュアスポーツカーだとわかる、実に斬新で個性的なスタイリングが印象的だったが、当然ながらそれは狙ったものだった。登場時、このクルマの担当デザイナーだったマツダの佐藤洋一さんにインタビューした際の記録を掘り起こすとこんなコメントをしていた。

「社内体制が変わり、風習などから解放された時期で、好きなようにやった。目標になったり、魅力を感じるライバルもなかった」

歴代RX-7との繋がりもなくても構わないくらいの勢いのあるムードの中でデザインされた……そんな風にも受け取れる話だった。

12

 

 

 

 

 

 

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

 

 

 

 

 

 

人気記事ランキング

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

AMW SPECIAL CONTENTS