かつて早い者勝ちで広大な土地が手に入ったオクラホマ州
広大なアメリカを東西2347マイル(3755km)にわたって結ぶ旧国道「ルート66」をこれまで5回往復した経験をもつ筆者が、ルート66の魅力を紹介しながらバーチャル・トリップへご案内。シカゴを出発して西に向かい、イリノイ州からミズーリ州、カンザス州を通り、オクラホマ州へやって来ました。今回はオクラホマとルート66の歩みを知ることができる、歴史的な建造物たちを見ていきます。
ルート66が創設された1926年頃までの歴史的建造物を紹介
オクラホマ州がアメリカ合衆国に組み込まれる以前、まだ準州として組織化もされていなかったころの話。連邦政府はオクラホマと呼ばれるエリアの開拓を推し進めるために、指定された日時に先着順でひとり当たり160エーカー(約65ヘクタール、東京ドーム14個分)の私有化を認める、後に「ランドラッシュ」と呼ばれる現象を引き起こす政策を実施した。1889年4月22日を皮切りに何度か行われ、希望と野望を胸に秘めた入植者が押し寄せて、1907年11月にはアメリカ合衆国へ加入する。
ランドラッシュからオクラホマ州の成立を経て、ルート66が創設された1920年代の後半までの、歴史的な建造物を順を追って紹介してみよう。
19世紀に建てられた「円形の納屋」
私が訪れた中でもっとも古いのは、1898年に作られた「ラウンド・バーン」。人口が200にも満たないアーケディアという小さな街にあり、ウィリアム・ハリソン・オドーという農民により建設された。1980年代には屋根が崩壊するなど荒れ放題だったが、後にボランティア団体が修復して元の姿を取り戻す。今は1階がギフトショップとして営業しており、2階はイベントなどで借りることが可能だ。
100年前の舗装が残る幅わずか2.7mの旧道
次はルート66が誕生する以前から存在した古い道路、1921~1922年の舗装が残る「リボン・ロード」。もともとはオザーク・トレイルと呼ばれる道路の一部だったが、1929年にマザー・ロードことルート66へ組み込まれる。幅がわずか2.7mしかない1車線の旧道はマイアマーとアフトンの間にふたつ存在し、目印としてルート66のロード・サインを記した石碑が立っているためわかりやすい。今のヒストリック・ルート66と交差しており、リボン・ロードは交通量もほとんどないため、歴史を感じつつ100年前の舗装を歩くのもいい。
1926年にできた鉄橋
続いては1926年に作られた鉄橋、「プライア・クリーク・ブリッジ」だ。ここを発見したのはまったくの偶然。イースト・レイトン・ストリートと名を変えたルート66を走っていると、南に曲がる路地の入り口でルート66のロゴが描かれた看板を見つけ、少し奥へ進んでみると趣のある古びた鉄橋がそびえ立っていた。1926年から1932年までの正式なルート66だったらしく、バイパスされた現在も地元の生活道路として重宝されている。