同じ国のナショナルカラーでも、色調に違いが存在する
もともと「ナショナルカラー」の始まりは、アメリカの新聞「ニューヨーク・ヘラルド」紙の社主ジェームズ・ゴードン・ベネットJr.の発案により、1900年にパリを起点に開催された国別対抗自動車レース「ゴードン・ベネット・カップ(Gordon Bennett Cup)」に向けて、参加者の国籍別にボディカラーが決められたことが発祥とされる。
スピード競技というよりは、黎明期にあった自動車の耐久性を競ったこの都市間公道レース。参加した4か国には、それぞれ「アメリカ:赤」、「ベルギー:黄」、「ドイツ:白」、「フランス:青」が割り振られたという。つまり、レッドは元来アメリカのナショナルカラーだったことになる。ところが、その後のアメリカは国際格式のモータースポーツへの興味を失ったのか、赤は宙に浮いた状態となってゆく。そこで、前述したフランスとの「ブルーかぶり」から、イタリアが赤を譲り受けることになった。
こんな経緯があったせいか、イタリアンレッドは「ロッソ・コルサ(Rosso Corsa:レースの赤)」ともいわれるように、ほかの国のナショナルカラー以上にモータースポーツとのかかわりが深いものとみられている。「イタリアンレッド」のカラーリングは20世紀初頭のフィアットやイターラあたりから使われ、アルファロメオやランチア、マセラティ、そしてもちろん第二次大戦後のフェラーリにもペイントされるようになってゆくのだ。
色かぶりを避けるために生まれたカラー
ところで、当時のFIA(国際自動車連盟)は、国旗に使用される色のごとくナショナルカラーのトーン(色調)にも規約を設け、イギリスやイタリアのように一つの国に多くのレーシングチームが存在する場合には、同じ色でもグラデーションで差別化を図るように推奨していたとのことである。
イタリアではこのグラデーションについて、例えばスクーデリア・フェラーリならば、すでに先達たるアルファロメオが選択していた、バーガンディにも近いカラーリングを尊重して、鮮やかなスカーレット(鮮紅色)とした。そのかたわらマセラティやランチアでは、より深い色調のレッドが選択されていたが、一見しただけでは判りづらいこともある。
いっぽう「イタリアンレッド」以上にバラエティ豊富となったのが、イギリスの「ブリティッシュグリーン」である。1920年代中盤には「ベントレーボーイズ」の乗るワークスカーに、黄緑色に近いグリーンを採用した事例もあるベントレーは、そののち深くくすんだモスグリーンへと移行。第二次大戦後にモータースポーツへと大々的に参入したジャガーやBRMは、ベントレー以上に濃いグリーンを選んだ。
またモスグリーンから、植物のセージのような若草色メタリックに移行したアストンマーティン。文字どおり絵の具の「みどり」のように、鮮やかに黄味がかったロータス。さらには、見方によっては濃紺にも映る微妙な濃緑のクーパーなど、コンストラクター別、あるいは年代別に様々な「ブリティッシュグリーン」が存在した。それは、世界で最もモータースポーツが盛んであるがゆえに、国際格式のレースに参加するチームの数も多かったイギリスならではのことと思われるのだ。
ナショナルカラーに復権の兆しが
このように、第二次世界大戦前のナショナルカラーは、ファスシト国家の国威発揚の目的も持たされていた悲しい過去もあるいっぽうで、戦後にはそれぞれのマシンの母国やお国柄も表す、便利で魅力的なアイキャッチとなっていた。しかし、1970年代以降のF1GPシーンにおいては、ながらく「イタリアンレッド」のフェラーリのみが護り続けていた感のあるナショナルカラーながら、現在ではアルファロメオやメルセデス、アストンマーティンなどとともに再興を果たしているようだ。
そして今年、2023年のル・マンにてドラマティックな復活を遂げた「フェラーリ499P」も、鮮やかなイタリアンレッドに加えて、モデナ市のカラーである黄色を組み合わせたリバリーで世界を魅了したこともあって、とくにメーカー間の戦いの場となるスポーツカー耐久レースでは、今後ナショナルカラーが復権する可能性も否定できないだろう。