その国のクルマを象徴するカラーの由来を深掘り
フェラーリなら「赤」、アストンマーティンやロータスなら「緑」といったように、そのブランドをイメージするカラーが存在することをなんとなく知っている人も多いのではないだろうか。じつは国単位でもナショナルカラーが存在していることをご存知だろうか。国ごとにどのようなカラーなのか、どういう由来があるのかも含めて解説していこう。
レーシングカーのカラーに国別の決まりがあるって、本当ですか?
色とりどりのカラーが咲き乱れる現在の自動車界においても、フェラーリの2座席ベルリネッタならば「赤」。アルピーヌは「ブルー」。アストンマーティンやロータスならば「グリーン」がブランドをイメージするボディカラーとなる事例が多く見られる。
とくに世界初公開の際などにメーカーからリリースされるオフィシャル写真では、一定の法則に伴うボディカラーのクルマが登場するのが常であろう。そして、ヨーロッパ各国を代表するスポーツカーブランドがイメージカラーとする色には、実は国を代表する「ナショナルカラー」という伝統的な概念が、今なお強く影響している。
そもそもナショナルカラーって、どんなもの?
創業以来、常に革新的な試みを打ち出していたロータスが、1968年シーズンを端緒にたばこブランドの「ゴールドリーフ」をスポンサーとし、そのC.I.カラーである赤/金/白の3トーンにペイントして以来、F1グランプリに参加するマシンの大部分は、スポンサーの指定するカラーでペイントされている。
しかし、その故事の以前に行われていた国際格式のレースイベント、特に近代のF1を含むグランプリを走るマシンたちは、それぞれ所属するチームの国籍によって制式化された、いわゆる「ナショナルカラー」に塗られることが、半ば当たり前のごとく習慣化されていた。
例えばフランスは、1920年代のブガッティやドラージュを端緒とするブルーが、第二次大戦後のタルボ・ラーゴやゴルディーニ、あるいはアルピーヌなどにもペイントされ「フレンチブルー」と呼ばれることになった。またイタリアでは、サッカーや外洋ヨットをはじめとするほかのスポーツ競技では「アズーロ」と呼ばれる明るめの青が使用されるが、レース界ではフランスの前例があったため、やむなく赤を選んだ。それが「イタリアンレッド」の始まりとされている。
いっぽう、世界で最もモータースポーツの盛んな国であるイギリスでは、第二次大戦前からグリーンがナショナルカラーとされ、こちらも有名な「ブリティッシュグリーン」の由縁となった。そしてドイツといえば「ジャーマンシルバー」なのだが、それに至るまではちょっと面白い裏話があった。
意外な由来からナショナルカラーになることも
もともとドイツのナショナルカラーは、1920年代のダイムラーなどに端を発するホワイトだった。ところが、新たに総重量750kg以下のマシンで行われることになった「A.I.A.C.R.グランプリ(現在のFIA-F1GPに相当)」の第一戦、1934年シーズンの開幕戦で、750kgの規定重量を若干超過してしまったメルセデス・ベンツW25が、チームの名物監督アルフレート・ノイバウアーのとっさの判断で、白のボディ塗装を剥がして軽量化を図った(!)という故事から、そののちはアルミ地色から転じてシルバーメタリックで定着。それは当時のライバルであるアウトウニオンや、スポーツカーレースのBMWなどにも採用されることになったというのだ。
これらのほかにも、ホワイトとブルーの2トーンはアメリカ合衆国。イエローはベルギーのカラーとされ、主に第二次大戦後のスポーツカーレースで使用された。また、オランダはオレンジ。ニュージーランドはブラックとされたものの、実際に国際格式のレースで使用された例は、あまり見られなかったようだ。
それではわが国はといえば、1964年シーズンに初めてF1GPに参入を決めたホンダが、当初は故・本田宗一郎氏たっての希望で金色の使用を要請していたとのことである。ところが、自国内に国際格式のレースに出るようなワークスチームを持たないはずの南アフリカ共和国が、実は先立ってゴールドで登録していた前例があったことが判明して、あえなく却下。結局、日本のナショナルカラーはホワイトの基調色をベースに、ドイツの旧カラーとの混同を避けるために「日の丸」を入れることで落ち着いたといわれている。
同じ国のナショナルカラーでも、色調に違いが存在する
もともと「ナショナルカラー」の始まりは、アメリカの新聞「ニューヨーク・ヘラルド」紙の社主ジェームズ・ゴードン・ベネットJr.の発案により、1900年にパリを起点に開催された国別対抗自動車レース「ゴードン・ベネット・カップ(Gordon Bennett Cup)」に向けて、参加者の国籍別にボディカラーが決められたことが発祥とされる。
スピード競技というよりは、黎明期にあった自動車の耐久性を競ったこの都市間公道レース。参加した4か国には、それぞれ「アメリカ:赤」、「ベルギー:黄」、「ドイツ:白」、「フランス:青」が割り振られたという。つまり、レッドは元来アメリカのナショナルカラーだったことになる。ところが、その後のアメリカは国際格式のモータースポーツへの興味を失ったのか、赤は宙に浮いた状態となってゆく。そこで、前述したフランスとの「ブルーかぶり」から、イタリアが赤を譲り受けることになった。
こんな経緯があったせいか、イタリアンレッドは「ロッソ・コルサ(Rosso Corsa:レースの赤)」ともいわれるように、ほかの国のナショナルカラー以上にモータースポーツとのかかわりが深いものとみられている。「イタリアンレッド」のカラーリングは20世紀初頭のフィアットやイターラあたりから使われ、アルファロメオやランチア、マセラティ、そしてもちろん第二次大戦後のフェラーリにもペイントされるようになってゆくのだ。
色かぶりを避けるために生まれたカラー
ところで、当時のFIA(国際自動車連盟)は、国旗に使用される色のごとくナショナルカラーのトーン(色調)にも規約を設け、イギリスやイタリアのように一つの国に多くのレーシングチームが存在する場合には、同じ色でもグラデーションで差別化を図るように推奨していたとのことである。
イタリアではこのグラデーションについて、例えばスクーデリア・フェラーリならば、すでに先達たるアルファロメオが選択していた、バーガンディにも近いカラーリングを尊重して、鮮やかなスカーレット(鮮紅色)とした。そのかたわらマセラティやランチアでは、より深い色調のレッドが選択されていたが、一見しただけでは判りづらいこともある。
いっぽう「イタリアンレッド」以上にバラエティ豊富となったのが、イギリスの「ブリティッシュグリーン」である。1920年代中盤には「ベントレーボーイズ」の乗るワークスカーに、黄緑色に近いグリーンを採用した事例もあるベントレーは、そののち深くくすんだモスグリーンへと移行。第二次大戦後にモータースポーツへと大々的に参入したジャガーやBRMは、ベントレー以上に濃いグリーンを選んだ。
またモスグリーンから、植物のセージのような若草色メタリックに移行したアストンマーティン。文字どおり絵の具の「みどり」のように、鮮やかに黄味がかったロータス。さらには、見方によっては濃紺にも映る微妙な濃緑のクーパーなど、コンストラクター別、あるいは年代別に様々な「ブリティッシュグリーン」が存在した。それは、世界で最もモータースポーツが盛んであるがゆえに、国際格式のレースに参加するチームの数も多かったイギリスならではのことと思われるのだ。
ナショナルカラーに復権の兆しが
このように、第二次世界大戦前のナショナルカラーは、ファスシト国家の国威発揚の目的も持たされていた悲しい過去もあるいっぽうで、戦後にはそれぞれのマシンの母国やお国柄も表す、便利で魅力的なアイキャッチとなっていた。しかし、1970年代以降のF1GPシーンにおいては、ながらく「イタリアンレッド」のフェラーリのみが護り続けていた感のあるナショナルカラーながら、現在ではアルファロメオやメルセデス、アストンマーティンなどとともに再興を果たしているようだ。
そして今年、2023年のル・マンにてドラマティックな復活を遂げた「フェラーリ499P」も、鮮やかなイタリアンレッドに加えて、モデナ市のカラーである黄色を組み合わせたリバリーで世界を魅了したこともあって、とくにメーカー間の戦いの場となるスポーツカー耐久レースでは、今後ナショナルカラーが復権する可能性も否定できないだろう。