モータースポーツ界の巨人フォードのグループBマシン
2023年8月、北米カリフォルニア州モントレーにて開催されたRMサザビーズの「Monterey 2023」オークション。その特別企画「The World Rally Classics Collection」では、グループBのホモロゲート用ロードモデルが数多く出品されたが、そのかたわらで「エヴォリューションモデル」と呼ばれる、メーカーが自らラリーの現場に投入するべく製作したワークスマシンの姿も見られた。今回はそんなエヴォリューションモデルの1台、フォード「RS200エヴォリューション」をご紹介しよう。
登場が遅すぎた? 悲劇のフォードRS200とは?
グループB時代に戦ったライバルのアウディやランチア、プジョーとは異なり、フォードは市販の量産モデルをベースとすることなく、あるいは市販車のシルエットに似せ、そのバリエーションとして量産車のPRを期待することもなく、純粋にラリーでの勝利を目指した「RS200」という完全新設計のミッドシップマシンを開発した。
英国フォードのスポーツ部門を長年率いてきたスチュアート・ターナーは、元BRM、シャドウ、ロータスのF1デザイナーとして名を馳せた名エンジニア、トニー・サウスゲートを登用。アルミ製モノコックとサブフレームからなるシャシーの開発を任せたのち、チーフエンジニアのジョン・ウィーラーが、英国フォードのスポーツ部門として知られるボレアムの本部でマシン全体のデザインを完成させた。
フォードのスポーツ活動を支えてきたスペシャリスト「マウンチューン(Mountune)」が開発した1.8L直列4気筒DOHC 16Vターボチャージャー付き「BDT」エンジンは、ロードトリムで250ps、コンペティションでは約450psを発生し、4WDの大家ファーガソン設計のドライブトレインには、4輪にパワーを配分する斬新なフロントマウント5速トランスアクスルが採用された。
サスペンションはダブル・ウィッシュボーンとツイン・コイルスプリング/ダンパーユニットを採用。フォード傘下のカロッツェリア・ギアがデザインしたボディカウルは、ボディは徹底して機能主義的でありながら、独特の魅力をも湛えていた。
ところがRS200のWRC初参戦は、ホモロゲーション・プロセスが長引いたために1986年2月1日まで承認が下りず、同月末の「スウェディッシュ・ラリー」までお預けとなる。皮肉なことに、デビュー戦での3位入賞がWRCでの最高成績となり、シーズン終盤の「ロンバードRACラリー」での5位が唯一のポイント獲得となった。
さらに悲しいことに、この1987年シーズンは世界ラリー選手権史上もっとも悲惨、そして物議を醸すことになる。そして相次いだ死亡事故がグループBの運命を決定づけ、1987年はグループAレギュレーションへと急きょ変更されることになったのだ。
フォードは、1987年シーズンのWRC選手権にRS200をさらにパワーアップした「エヴォリューション」モデルを実戦投入するつもりだったのだが、グループBが廃止となったことにより、フォードの目論みは未遂に終わる。
そこで事実上余剰となっていた既存のRS200シャシーを、エヴォリューション仕様としてコンプリート。ラリークロス競技などに出場するプライベーターに販売されたほか、ストリートカーとしても放出されたという。
ブライアン・ハートが新たに開発した2.1LバージョンのコスワースBDTエンジンは600ps以上を発揮し、それに合わせてブレーキとサスペンションもアップグレード。その結果、パフォーマンスは驚異的なものとなり、0-60mph(約0-97km/h)加速のタイムはわずか3.07秒をマークし、これは約12年間にわたって、世界記録となった。
実戦投入されなかったエヴォリューションモデルの価値は?
RMサザビーズの「Monterey 2023」オークションに出品されたフォードRS200は、シャシーナンバー#0084。わずか24台しか製造されなかった「エヴォリューション」のうちの1台で、アメリカに新車として輸出された数少ないRS200の1台でもある。
1989年に最初の個人オーナーの手に渡る前に、複数のRS200をアメリカに輸入したディーラー主、ボブ・サザーランドが保有していたと考えられている。
このRS200エヴォリューションはその後28年間にもわたってサザーランドのもと保管され、その大半はネバダ州ラスヴェガスの「インペリアル・パレス・ホテル」館内に展開されていた、約800台の車両を展示する自動車博物館「オート・コレクションズ」で展示されていた。
2017年にミュージアムが閉鎖されたあと、この個体はテキサスを拠点とするコレクターに売却される。このコレクター氏は走行距離がまだ少なかったにもかかわらず、エンジンを元マウンチューンの技術者でフォードRS200の第一人者として知られるジェフ・ペイジ氏に託し、フルリビルドを行った。
このときの作業は、メインおよびビッグエンドのベアリング、バルブスプリング、ピストンリングを新品に換装したほか、ビッグエンドのボルトの取り付け、新たにリビルトされたターボチャージャーと新品タイミングベルトの取り付けなど、約1万4385ドルをかけて行われた。同時に、トラブルの予防措置として冷却システム、ブレーキシステム、燃料システムも完全にオーバーホールされている。
2019年、このクルマの所有権は今回のオークション出品者でもある現オーナーに移り、現在にいたるまでごくわずかしか走行していない。
じつは、オリジナルのテラスピード社製デジタルスピードメーターは競技用のため、オドメーターが装備されていないのだが、新車として完成して以来の走行距離は500kmに満たないと考えられている。
とはいえ、シャシーナンバー#0084は現在の管理者によって几帳面にメンテナンスされており、2023年3月には約1万1000ドルをかけて、新品のフライホイールとティルトン社製カーボンツインプレートクラッチにアップグレードされている。このクラッチ・アップグレードによって、驚異的な出力とダイレクトなパワーデリバリーで有名なこのマシンのトラクションが、大幅に向上したと報告されている。
ボレアム工場から出荷されたときのフォード「ワークス」カラーと、コントラストをなすような赤いバケットシートで完璧に仕立てられ、希少なオリジナルのツールキットとスペアホイールも付属している。
そして「公道においても、あるいは近年急成長を遂げるヒストリックラリー・シーンのスペシャルステージにおいても、このグループB時代のアイコンは、本格的なコンペティションカーコレクションに加えられる注目すべき存在」という文言で、公式オークションカタログは締めくくられていた。
現オーナーとRMサザビーズ北米本社が協議の末に設定したエスティメート(推定落札価格)は、55万ドル~65万ドル。そして実際の競売では、エスティメートに到達する61万5500ドル、現在のレートの日本円に換算すれば約8990万円で無事落札されることになった。
エヴォリューションとはいえ実戦でのヒストリーの無い個体にこれだけの価格がつくのは、イギリス人エンスージアストたちが愛してやまない英国フォードのスポーツモデルの魅力がアメリカにも伝播していることにくわえて、フォードRS200というクルマの悲劇的なストーリーと圧倒的なカッコよさが重要な要素となっているのは、間違いのないところと考えるのだ。