ランプレディが設計したDOHCエンジン
さて、その124スパイダー、搭載していたDOHCエンジンが元フェラーリのアウレリオ・ランプレディ設計によるものだから、潜在的なポテンシャルが高く、1969年からはラリーカーとしてデビューしている。当初はプライベートドライバーによるエントリーだったが、アンダーパワーのエンジンにもかかわらず、その優れたロードホールディングや良好な重量バランスで結構な活躍をした。そして1970年からは本格的なワークス活動を開始する。
手始めはイタリアンラリーチャンピオンに挑み、その年のタイトルをランチア「フルヴィア」から奪い取ると、1971年にはフィアット傘下となったアバルトによる本格的なワークス活動が始まった。
車体は90kgも軽量化され、エンジンもさらに強力な1.6Lユニットが搭載された。そして1972年にはヨーロッパラリーチャンピオンのタイトルを収めるのである。
1972年末には車名を「フィアット124アバルトラリー」とし、1973年シーズンも良い結果を残す。1974年シーズンはエンジンが16バルブ化され、そのパワーはついに200psの大台に乗った。
そして1975年、再びエンジンに手が加えられ、燃料噴射の助けによりパワーは215psを絞り出すまでに至るのである。この年はハンヌ・ミッコラも124をドライブし、そのナビを務めたのは後にフェラーリのF1チームボスとなる若き日のジャン・トッドであった。
1973年シーズンからすでにマシンはグループ4にホモロゲートされており、215psにわずか930kgと軽い車体は存分に強みを発揮。ワークスのマウリツィオ・ベリーニとフランチェスコ・ロゼッティ組のマシンはフランス、スペイン、イタリア、ユーゴスラビア、ポーランドのラリーで勝利し、見事再度ヨーロッパ・ラリーチャンピオンの座を射止めるのである。
現在もFCAヘリテージハブに展示されている
その優勝マシン、登録ナンバーL69745TOこそ、当時フィアットの博物館、チェントロストリコ・フィアットに展示され、今もステランティスのヘリテージハブというアルファ、フィアット、ランチア、アバルトを集めたミュージアムに展示されているマシンそのもの。そして僕がドライブしたマシンそのものなのである。
クルマは驚くほど乗りやすかった。とにかくギアが何速に入っていようがめちゃくちゃトルクフルだった。トランスミッションは極端なクロスレシオの設定で、そこそこ引っ張ってシフトチェンジしてもエンジン音は何ら変わることがない。隣にお目付け役が乗っているのだが、とにかく「飛ばせ!」としか言わない。こちらも少しは道とクルマに慣れたこともあって、しっかりとアクセルを踏めるようになっていたからそりゃあ速いのなんの。
でも、それほど怖くもなくピュンピュンと走る。なんでもお目付け役に言わせるとトップスピードはせいぜい160km/hだとか。どこかのラリーに合わせたギアレシオなのだろうが、シフトアップしていってもエンジン音が変わらないのはそのためで、ただヴォーン、ヴォーンと同じ音質音量が出てくるだけである。
ヴァレンティノ公園では走りながら写真が撮りたいからとお目付け役に走らせたところ、見事にドリフトを決めてくれた。僕はとてもじゃないが、博物館のクルマでそんな芸当をすることはできなかったけれど、要するに潜在能力はそんなポテンシャルがあるということを見せつけてくれたのである。
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