日産の復活劇の一翼を担った5代目フェアレディZ
日産の5代目Z33型「フェアレディZ」の登場は2002年7月。ただし単にフルモデルチェンジを受けて順当に新型へバトンタッチした……というのではなかった。というのも2000年9月に4代目Z32型が販売終了となり、そこから2年弱のブランクを置いての登場となったから。当時の日産はフランスの会社からやってきた例のアノ人が推進した激動のリバイバルプランが成果を出し、まさに日産が復活を遂げようとしていた時期。その同じタイミングで5代目を登場させたフェアレディZも復活を果たしたのだった。
限定版カタログは半透明のケース入り
当時の広報資料にも「復活までの間、内外の多くのファンの方々から、熱いメッセージをいただきましたし、社内でもZの灯を絶やしてはいけないという動きが絶える事無く続いていました」と綴られ、同じ見開きにはこのZ33型のCPS(チーフ・プロダクト・スペシャリスト)だったYさんが3つボタンのスーツ姿で笑顔で写っている写真が載せられている。
ちなみに写真のカタログは2002年7月版の最初のカタログだが、半透明の樹脂製ケースに入れられたリミテッドパッケージというもの。発表当時に前出のCPS・Yさんに「これは貴重な限定版だからとっておくように」と言われたことを思い出したが、そう言われるまでもなく、筆者はクルマのカタログはとっておく主義なので、このカッコいいカタログももれなく保管している次第。
クールな体裁、パーツやディテールをアップで撮ったカットをビジュアルに使うなどした正方形の判型のカタログは、イメージカラーがダイヤモンドシルバーということもあり、それとなく初代アウディ「TT」のカタログ(と実車も)とイメージが重なるところも。先代のZ32型以上に、Z33型が走りのみならずアートな領域での魅力も訴求してきたことを思わせた。
運動性能の要は「フラットライド・スポーツ」
ところでこのZ33型は、当時の日産FR車の「スカイライン」、「ステージア」などと共通の「FM(フロント・ミッドシップ)パッケージ」を基本に作られていた。この領域を担当していたのは当時、第一車両開発部でチーフ・ビークル・エンジニアだったMさんで、同氏が機会あるごとにホワイトボードの前でフェルトペンと黒板消しを手にドライビング・ダイナミクス領域の論理を熱心に手書きの図や数式を交えながら解説してくださったのは忘れられない。Mさんいわく、
「ねじふせて走る20世紀のスポーツカーに対して、優れたテニスラケットやスキーがあたかも自分の身体になったような快感の中でスポーツを楽しませてくれるように、ドライバーがつねにクルマと一体となって積極的に操っている感覚が得られる、そういう21世紀のスポーツカーを目指した」
ということだった。その要だったのが「フラットライド・スポーツ」で、フラットライドにより目線が動かされず繊細なドライビング操作ができることと、あらゆるシーンで意のままに高い次元のドライビングが楽しめる運動性能の提供だ、とされていた。