1978年ル・マンに出走した際のオリジナルカラーリング
さる2023年8月17〜19日、「モントレー・カーウィーク」の一環としてRMサザビーズ北米本社がカリフォルニア州モントレー市内で開催した「Monterey 2023」オークションでは、バーンファインドされたクラシックフェラーリによる特別企画「Lost & Found Collection」が話題を呼んだのは記憶に新しい。このコレクションの多くは、かつてル・マンやミッレ・ミリア、タルガ・フローリオなどで活躍したヒストリーを持つ珠玉のクラシックレーサーが占めていたのだが、今回はその中からル・マンを闘ったBB、「512BBコンペティツィオーネ」をご紹介しよう。
6年ぶりに耐久レースへ復帰したフェラーリの切り札とは?
日本の子供たちを沸かせたスーパーカーブーム時代。ランボルギーニ「カウンタック」と並ぶ二大巨頭だったフェラーリ「ベルリネッタ・ボクサー(BB)」だが、昨今の国際クラシックカー・マーケットでは、かつての好敵手カウンタックの相場価格が急騰から高止まり状態にあるのに対して、フェラーリBB、とくに「512BB」と「512BBi」は、かなりリーズナブルとなっている。
しかし宿敵カウンタックにはなくて、BBだけに存在するものがある。それはル・マンなどの世界選手権を闘ったレースヒストリーを持つレーシングモデルである。
1976年までにフェラーリは、当時のフラッグシップだった12気筒ミッドシップモデル「365GT4/BB」をさらに発展。排気量を4942ccまで拡大し、モータースポーツにも好適な新しいドライサンプ潤滑システムを採用した512BBを開発していた。
この新たに改良されたモデルの登場にともない、フェラーリ首脳陣は1972年シーズをもって途絶えていたスポーツカー耐久レースへの復帰の可能性を検討し始め、1978年初頭にはこの企画はかなり具体的なものとなってゆく。
そこで1978年のル・マン24時間レースに向けて、3台の512BBシャシーが北米「IMSA」選手権レギュレーションに適合するよう特別に改造され、ファクトリーの全面的なサポートのもとモデナで製作されることになる。ここで、フェラーリ技術陣によってさまざまな軽量化対策が施された結果、車両重量は1100kgに抑えられたいっぽう、5Lの180度V12エンジンは460psにパワーアップされた。
ピニンファリーナがデザインした量産型512BBのボディには、プレクシガラス製ウインドウが装着され、大型のチンスポイラーとフェラーリの312型F1カーに由来する大型リアウイングも追加された。
これらの512BBコンペティツィオーネのうち2台は、フランスにおけるフェラーリ販売総代理店の「シャルル・ポッツィ」がIMSA GTXクラスに参戦するためにエントリーした。もう1台、今回のオークションに出品されたシャシーナンバー#24131は、ルイジ・キネッティ率いる「ノース・アメリカン・レーシング・チーム(NART)」がレースナンバー#87としてエントリー。ジャン=ピエール・ドローネ/ジャック・ゲラン/グレッグ・ヤング組のチームがドライブすることになる。
サルト・サーキットで行われた公式テストデイでは、同じフェラーリのデイトナGr.4コンペティツィオーネのラップタイムを大幅に更新しただけでなく、オーバーステアが懸念されたカーブも、比較的難なくこなしていたといわれる。
こうして迎えたル・マン24時間レースにて、シャシーナンバー#24131はスターティンググリッド36番手に留まったが、時間が経つにつれて順位を上げ、日曜日の朝にはクラス優勝を目前にしていた。ところが残念なことに、ノーマルのギアボックスはコンペティション用にチューンされたエンジンのトルクには勝てず、レース終盤には総合11位/クラス2位まで順位を上げたところでミッショントラブルに見舞われ、232周を走破した段階でル・マンを去ることを余儀なくされてしまったのだ。
約2億2000万円のハンマープライスは、もしかしてリーズナブル?
リタイヤに終わったル・マン24時間レースのあと、この512BBコンペティツィオーネはキネッティによって保管され、そののち1980年にフロリダ州マイアミのグレン・カリルに直接譲渡された。カーペットの販売業者である彼は「195インテル」、「ディーノ206 S」、あるいは「275 GTB/4 NARTスパイダー」などの希少なフェラーリを数多く所有する、有力なコレクターだったという。
カリルは実際にロードカーとして街中を走り回ったほか、ときには地元のイベント会場である「ハリウッド・スポルタトリウム」を貸し切って、家族や友人たちとともに512BBコンペティツィオーネを制限なく楽しんだという。そして1981年1月、カリルはこのフェラーリをウォルター・メドリンに譲渡。以来42年間にわたり、ほかのフェラーリ・コレクターや世間の注目を浴びることなく、ひっそりと隠遁生活を送ることになった。
この夏「Lost & Found Collection」の1台としてオークションに出品されたシャシーナンバー#24131は、スポンサーのデカール、ドライバーの名前、象徴的なNARTのデカールなど、1978年ル・マンに出走した際の際のオリジナルカラーリングが施されている。
本格的なレースヒストリーを持つこのフェラーリは、希少性とユニークなエンジニアリングを併せ持つ特別なコンペティションカーであり、伝説のNARTチームカーとしてル・マンに参加したことから、その母国であるアメリカでの評価はさらに高まるとも予測されていた。
また、現オーナーが1981年に入手して以来レストアのたぐいを一切施されておらず、1978年のル・マンでの姿を忠実に再現している。くわえて、フェラーリ本社ファクトリーとの間に交わされた手紙のコピーや、初期のレーシング512BBに関する研究を記したドキュメント、そしてACOル・マン24時間レースの特徴を記したシートのコピーなどが記録されている。
もちろん、メカニズム面を健全な状態にするためにはフルレストアが必須ながら、歴史的に重要なレーシングフェラーリを現代に蘇らせることに意義を感じる未来のオーナーにとって、とてもやりがいのある経験となることは間違いあるまい。
そしてひとたび正しくレストアされれば、「ル・マン・クラシック」をはじめとする数々のクラシックカーレースにエントリーすることも可能なほか、「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」でヒルクライムに出走するための招待権が得られる可能性も高い。さらには、フェラーリ単一メイクのミーティングはもちろん、主要なコンクール・デレガンスにおいてもスターの座に就くのは間違いのないところであろう。
この魅力的なレーシングフェラーリは、レースのために開発された最初の512BBであり、さらにモディファイとチューニングを施したセカンドシリーズ「512BB/LM」にも技術的な影響を与えたことにより、1980年代初頭までこのモデルの競争力を維持する端緒ともなった記念碑的な1台ともいえる。
だから、マラネッロが512BBでスポーツカー耐久レースに復帰した歴史を知るエンスージアストにとって、この第一歩となったモデルを手に入れるということは、とりもなおさず伝説の一部を手に入れることになるのだろう。
RMサザビーズ北米本社は、この伝説のコンペティツィオーネに対して180万ドル~220万ドルという、いくらレース用のフェラーリとはいえ、完全なる不動車としてはかなり強気なエスティメート(推定落札価格)を設定。そして迎えた競売では、出品者とオークションハウス側の読みを大きく下回る、149万ドルで落札されることになった。
これは日本円に換算すれば、約2億2000万円。エスティメート下限にも満たない価格に終わったものの、これから多くの費用とマンパワーを要するレストアが控えていることを考慮すれば、かなりの高評価を得たのではないか……? とも思われたのである。