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謎の3輪マイクロカーが約1240万円で落札! 改造されたフリスキー「コンバーチブル スペシャル」とは

8万4000ドル(邦貨換算約1240万円)で落札されたフリスキー コンバーチブル スペシャル(C)Courtesy of RM Sotheby's

謎の3輪小型車「フリスキー」

世界最大級と称されるクルマのお祭り「モントレー・カーウィーク」の一翼を担うオークションとして、RMサザビーズ北米本社がさる 2023年8月17〜19日にカリフォルニア州モントレー市内にて開催した「Monterey 2023」。そこで興味深い出品が数多く見られたなかから、もっとも異色の1台、英国の小規模メーカー「ヘンリー・メドウズ・ヴィークルズ」転じて「フリスキー」社が1950年代末に開発した3輪小型車「ファミリー・スリー」の改造コンバーチブルをご紹介したい。

イギリスの知られざるマイクロカー、フリスキーとは?

第二次世界大戦が終結した直後のヨーロッパ各国で開発されたマイクロカーたちの多くは、スタイリングや快適性などにはほとんど無頓着な、便利で質素な道具に過ぎなかった。しかし、進取の気性に富んだ一部の起業家たちは、たとえ低いコストでも巧みに設計され、リーズナブルな価格で魅力的な小型車をつくる「ニッチ」に、進出の余地を見出してゆく。

元レーシングドライバーの英国人、レイモンド・フラワー大尉もそんな野心的な起業家のひとりだった。フラワー大尉は、2人の兄弟および「キーフト・カーズ」のデザイナー兼エンジニア、ゴードン・ベドソンをともない、エジプトのカイロで「フェニックス」なる屋号のもとに、いくつかのマイクロカープロジェクトに携わっていた。

ところが、ファルーク国王の失脚とそれに伴うスエズ危機により、これらのプロジェクトはとん挫。フラワー兄弟とベドソンはやむなくイギリスに戻ったものの、小型で経済的なクルマという彼らのアイデアは、戦前には「ラゴンダ」や「インヴィクタ」など、名スポーツカーのエンジンも供給していたエンジン専業メーカー「ヘンリー・メドウズ」社に受け容れられることになる。

1956年、ベドソン技師はメドウズ社のデザイナーと協力し、ガルウイングドアを備えた型破りなスタイリングの「バグ」というニックネームの試作車を完成させた。1957年のジュネーヴ・ショーにてデビューしたこのクルマは「フリスキー」と名づけられたものの、ガルウイングドアという特徴ゆえに、大量生産にはコストが掛かり過ぎることが判明する。

そこで彼らは、コスト高騰の元凶であるドアをルーフともどもカット。イタリアの巨匠ジョヴァンニ・ミケロッティの協力のもとボディを再設計した結果、1958年春に「フリスキー・スポーツ・コンバーチブル」の生産が開始された。

このマイクロカーはコンヴェンショナルな4輪車で、2気筒2ストローク250ccの「ヴィリーズ(Villiers)」社製オートバイ用エンジンと前進4速のギヤボックスが搭載され、リバースギヤはスターターモーターを反転させるシステムによって補われていた。

1958年末には会社の所有権がマーストン・グループへと代わり、新社主は車両のブランド名から「フリスキー・カーズ」社と命名。普通のドアを持つ4輪クーペにくわえて、3輪車には免税および免許の取得可能年齢の引き下げ措置のあった英国内市場のために、同じくクローズドルーフを持つ「フリスキー・ファミリー・スリー」を新たに開発した。

1959年1月から発売されたファミリー・スリーは、ミケロッティがデザインしたボディに197ccの2ストローク単気筒のヴィリーズ社製エンジンを搭載し、4速マニュアルトランスミッションとリバース機構を備えていたという。

1200万円超えの高プライスの理由は、わかりやすいカッコよさ?

大型車天国であるアメリカながら、その反動からなのか近年では「カビネンローラー」あるいは「バブルカー」とも呼ばれる欧州製マイクロカーの人気が、一部のコアなファンの間で爆発。さらに日本のクラシック軽自動車なども、コレクターズアイテムとして認知され始めているようだ。

しかし、フリスキーは珍車中の珍車。しかもこのほど「Monterey 2023」オークションに出品されたフリスキーは、もともと「ファミリー・スリー・クーペ」として生産されたのを、前所有者のもとで巧みに3輪コンバーチブルに改造された、いわばスペシャルものの1台である。

この個体は入念なレストアが施され、いかにも1950年代的なパステルブルーのペイントは、オリジナルはミケロッティによるデザインである魅力的な外観をさらに引き立てている。また「ファミリー・スリー」以前から作られていた4輪版「スポーツ・コンバーチブル」から拝借した「Frisky Sport」のロゴバッヂなども、レストアに際してディテールにこだわったことを如実に示している。

ヨーロッパでは「VWタイプ1」や「フィアット600」、「BMCミニ」などの本格的な量産小型車の台頭により、これらのマイクロカーは1960年代に入ると急速に衰退を強いられてゆく。フリスキー社も何度かの会社更生を試みたのち、生産開始からわずか2年後にあたる1961年をもって、廃業を余儀なくされてしまう。それゆえ、熱心なファンによって運営される「フリスキー・レジスター」によると、現存しているのは全タイプを合わせても75台のみとされている。

「このフリスキーの芸術的なコンバーチブル・コンバージョン車は、もとより希少なモデルにユニークな次元を加えたことにより、魅力的なカンバセーション・ピース(話題のきっかけ)となり、ガレージに楽しくて珍しいアクセントを加える!」と公式オークションカタログでうたいあげたRMサザビーズ北米本社は、出品者である現オーナーとの協議の結果、3万ドル~4万ドルのエスティメート(推定落札価格)を設定。さらに今回の出品を「Offered Without Reserve(最低落札価格なし)」で行うことを決定した。

この「リザーヴなし」という出品スタイルは、たとえ出品者の意にそぐわない安値であっても落札されてしまうリスクもあるいっぽうで、特に対面型のオークションでは確実に落札されることから会場の空気が盛り上がり、ビッド(入札)が進むというメリットもある。

こうして迎えた競売では、リスクを冒した賭けが成功したのか、エスティメート上限のさらに2倍以上に相当する8万4000ドル。日本円に換算すれば約1240万円という、マイクロカー、しかも改造車とは信じがたいほどのプライスでハンマーが落とされることになった。

これほどの高価格となった理由は、圧倒的な希少性もさることながら、モディファイの仕上がりまで含めて、この種のマイクロカーとしては異例ともいえるスタイリッシュさを誇っていることも、重要な要素となったものと思われる。

2010年代以降、高騰が続く国際クラシックカー市場において評価軸となっているのは、分かりやすい格好良さであると思われる。そして、たとえこのようなマイクロカーであっても、その普遍の法則は変わらないようなのである。

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