日本で28年間を過ごしたヒストリーも
ヨーロッパでのレース活動を終えた#6053は、1969年4月、イギリスの有名ディーラー「コリン・クラッブ」を通じて、「フェラーリ・クラブ・オブ・アメリカ(FCA)」の共同設立者のひとりであるリチャード・メリットに売却された。
その後はアメリカで複数のオーナーのもとを渡り歩いたのち、1988年にスイス在住のエンスージアストに譲渡。さらに、バブル真っ盛りの1990年には三菱商事に売却され、日本での新たな生活がスタートすることになった。
そしてその4年後、#6053はアバルトをはじめとするイタリア車の素晴らしいコレクションで全世界に知られていた日本人愛好家、K.S.氏の手に渡る。じつはこの時期、同氏が山梨・山中湖にて一般公開していたミュージアムに足しげく通っていた筆者も、一度だけだがこの250LMを見かけたことがあったと記憶している。
K.S.氏は250LMをこよなく愛していたようで、1999年にイタリア・ヴィゴンツァにある名匠ディーノ・コニョラートの工房にレストアを依頼した。その後もK.S氏は長年にわたりこの250LMを忠実に管理し、24年間という長きにわたって丹念に手入れをしていたのだが、2018年に売りに出されることになった。
そしてこの250LMは、最上級のフェラーリコレクターとしてアメリカではこの上なく尊敬されている現オーナーが入手。直後にフェラーリ本社にこの250LMを送り届け、フェラーリ・クラシケによる再レストアと認証を受けた。
2021年に完成したこの個体は、1968年のル・マンに出走した正真正銘の1台であることが、フェラーリ・クラシケによって作成された「レッドブック」に記録されている。また、1968年9月にル・マンに供用された#6167のエンジンとトランスアクスルを引き続き搭載していることも、レッドブックには改めて記載されている。
レストアののち、2021年11月にムジェロで開催された「フェラーリ・フィナーリ・モンディアーリ」に登場したのち、モデナの「エンツォ・フェラーリ博物館」に展示。さらに2022年8月には「ペブルビーチ・コンクール・デレガンス」にも出品されている。
くわえて添付されるドキュメントは、フェラーリ本社発行のファクトリービルドシートとインボイスのコピー、原産地証明書、ポール・ヴェスティからの当時の手紙、「カロッツェリア・スポーツカーズ」のフランコ・ズッキが作成した当時の経費メモ、1968年に発行されたフランスへの通関証明とル・マン関連書類、世界的なフェラーリの権威であるマルセル・マッシーニとブルック・ベッツの署名入りヒストリー証明書。ディーノ・コニョラートの息子に宛てた電子メールを含む元オーナーの手紙たち、そしてフェラーリ・クラシケによる最近のレストアに関するファクトリー発行の資料など、まさしく完璧といえるものである。
レッドブックが明らかにしているように、レースに出走した多くの250LMたちとは違って、シャシーナンバー#6053は大きな事故に見舞われたことがなく、1968年のル・マン24時間レースで使用された#6167用エンジン/トランスアクスルだけでなく、マッチングナンバーのシャシーとボディを維持していると考えられている。
この歴史的なフェラーリ250LMに対して、RMサザビーズ北米本社は1800万ドル~2000万ドル、日本円に換算すれば約26億9000万円~約35億8000万円という、出品サイドいわく「リーズナブルな」エスティメート(推定落札価格)を設定。ところが、残念ながら最低落札価格には届くことなく「Not Sold(流札)」に終わってしまった。