日本のテストコースでニュルの速度域を再現し磨きをかけた
電子制御4WDへの挑戦のほかに、HICAS(ハイキャス)と日産が名付けた後輪操舵も、GT‒Rの開発では難題を投げかけた。80年代にはトヨタやホンダからも4輪操舵技術が提案され、市販された。中でもHICASは高速域での活用を主眼とし、前輪と同じ方向へ後輪を操舵する(同位相)ことで走行安定性を高める機構だった。
「HICAS自体は、R31スカイラインから採用され、R32から油圧でラックを操舵するスーパーHICASへ進化しています。それによる走行安定性の高さは、定常円旋回では機能しますが、ニュルブルクリンクのように高速で右へ左へ切り返すようなカーブの連続では、後輪操舵の切り替えに一拍遅れが出て、切り替えした後に素早く姿勢が作れない。運転操作と一体感を出すのに、やはり時間がかかりました」
ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)も、苦労した要素だと加藤氏は言う。そもそもABS自体、80年代にようやく普及し始めた電子制御機能であり、まして4WDでABSを働かせられるようになるのは後になってのことだ。
「ABSは、前輪と後輪の回転差があって成り立つ機能で、前輪と後輪がほぼ同じ回転で駆動して走っているとき、横滑りが起きてブレーキを踏んだときには、かえってABSの作動を止めてしまう状態でした。上司にその状況を書き出せと言われましたが、とても言葉にできるような様子ではなく、結局、しばらくはわたし以外GT‒Rの運転ができない時期もあったのです」
当時の実験部では、加藤氏ひとりが電子制御4WDの開発者として担当していたため、代われるテストドライバーもいなかった。それでも仕上げが独りよがりになってはいけないとすり合わせの話をする相手はいたが、GT‒Rのすべてを知り体感し、検証できるのは、実質的に加藤氏ひとりであったと言えた。
そういう加藤氏自身も新しい技術要素を含め、ニュルブルクリンクというコース、そこでの未知の速度域での操縦安定性の造り込みという、初めてづくしの開発での過程では、自らの運転技量の向上にも励む日々でもあったという。
「ニュルブルクリンクでの走行を模擬しながら栃木のテストコースで次の段階へ向けた開発をするため、ニュートラルスピード(実質の最高速)が190km/hの高速周回路バンクの内側(下側の平面部)を180km/hで突っ込んでみたりして、駆動制御の状態を確認していました。そこは回転半径が300mあるので、ニュルブルクリンクを模すにはちょうどいい。ところが、当時のわたしはA2という運転資格しか持っていませんから、走行規則違反でコース管理者との追いかけっこになりました。
しかし、規則を守っていたのではニュルブルクリンクの走りを再現することはできません。しかもニュルブルクリンクを模擬した超高速での運転習熟の過程ですから、同じ走り方が十中八九できなければデータ取りできないわけです。最終的にA1を取得しますが、それはR32 GT‒Rが発売される数カ月前のことで、開発は終わっていました(笑)」
R32 GT‒Rがいよいよ世に出たとき、加藤氏の気持ちはどうであったのか。
「それはもう、鼻高々ですよ。参考にしたポルシェ959は路面状態に応じたモード設定がありましたが、GT‒Rはモード切り替えなしで、舗装路から氷雪路面まで走れたのですから!」
(この記事は2023年6月1日発売のGT-R Magazine 171号の記事を元に再編集しています)