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【R32「GT-R」開発秘話】今だからテストドライバーのトップが明かす「最初のテスト車はニュルブルクリンクで通用しませんでした」

R32のリア

大型リアウイングが特徴のR32 GT-R

第2世代3兄弟の長男「R32」はどのように開発されたのか

日本のみならず、世界中のクルマ好きに愛されている日産「スカイラインGT-R」。電子制御4WDなど、その開発は相当な苦労があった。その運動性能を取りまとめたのが、日産自動車 車両実験部の加藤博義氏である。当時の開発秘話を語っていただいた。

(初出:GT-R Magazine 171号)

アテーサETSの走りを極め世界レベルの性能を目指した!

テストドライバーとして唯一、現代の名工と称される加藤博義氏は、第2世代となるGT‒Rの走りを築き上げてきた。短命に終わった2代目GT‒R(KPGC110=ケンメリGT‒R)から、16年ぶりに復活したR32GT‒Rと、加藤氏の出会いはどうであったのか。

「ケンメリGT‒Rが東京モーターショーに出展された当時、わたしは秋田にいましたから、高橋国光さんが横に立った濃紺に金のゼッケン番号の姿しか頭にはなく、GT‒Rという強い実感を持つ存在ではありませんでした。

R32の開発中は、主管の伊藤修令さんがGT‒Rという名称をあえて使わないよう意識していたので、商品本部の人たちは計画として知っていたかもしれませんが、わたしにはこれといった意識や認識はありませんでした。試作車のホーンボタンもGT‒Xとなっていて、なぜGT‒Xなのかとは思いましたけれど」

1980年代、市場ではGT‒R待望論がR30のころから起こりだしていた。R30で高性能車種が出てくるようだとの噂から、GT‒R復活の期待が高まったのだ。しかしそれは、直列4気筒エンジンを搭載したRSとして現れた経緯がある。世間の熱気と別に日産社内では、GT‒R復活へ向け慎重な段取りが踏まれており、実験部にさえ伝えられていなかったようだ。

「R32に先立って、わたしは3年くらい電子制御4輪駆動(4WD)の開発に携わっていました。これがその後GT‒Rに搭載されるアテーサE‒TSです。当時は2.6Lのターボエンジンはまだなかったので、オーストラリア仕様の3LエンジンとアテーサE‒TSを組み合わせて、前後の駆動力配分を電子制御で意図的に行う4WDをなんとかモノにしようとしていました。

それまで日産の4WDと言えば、ダットサントラックやサファリで使っていた、2WDと4WDを切り替えて使うパートタイム式と、3代目のパルサーで世界初採用となった前輪駆動(FWD)を基にしたビスカス式4WDしか経験がありません。電子制御で意図的に前後のトルク配分をする4WDとは、どうすればいいのか、どうなればいいのか、あるべき姿がまったくわかりませんでした。

幸い実験部にはポルシェ959や、アウディ スポーツクワトロ、プジョー205ターボ16があったので、乗ることができて、その経験からなんとなくこういう感じになればいいのかなと思ったのは、ポルシェ959でした。

アテーサE‒TSの発案者が『後輪駆動(RWD)でパワーオーバーステアが出たら前輪へトルク配分すれば走行ラインをなぞれるのではないか』と言っていたのを自分なりに解釈し、その手本とするうえで、ポルシェ959のような特性ではないかと考えたのです」

ポルシェ959とは、1986年に発売された前後トルク配分を行う4WD車だ。クルマの走行状態に応じてトルク配分をする受け身的なフルタイム4WDは他社でも存在したが、電子制御で意図的に駆動力配分を行う開発は、着手されたばかりという時代であった。そこに日産は挑み、開発はまだ手探りの日々で加藤氏は目指すべき道をひとりで模索していたのである。

すべてが当時の規格外だった「ニュルブルクリンク」

村山のテストコースなどで、ある程度の手応えを掴み始めたころ、ドイツのニュルブルクリンクへ行くことになる。

「GT‒Rうんぬんの前にコースに衝撃を受けました。ポルシェやBMWといったドイツ車は、ここを走り込んでいたのかと。フックスロエレ(狐の巣穴)という時速80km/hくらいで曲がるコーナーのあと、3速、4速、5速と、アクセル全開で加速し続けるところがあり、そのような道路環境はテストコースを含め国内にはありません。それでも例えるなら、箱根のターンパイクの下りで3速、4速と全開で行くようなものです。

渡独前に、村山のテストコースで仕上げていった試験車両は理想的なトルク配分になっていると思っていました。しかし、ニュルブルクリンクへ持って行ったら、まずカーブを曲がらない。曲がるように姿勢を持っていけないのです。日本のように速度が低い領域では、変速機も低いギヤでの走行になるのでトルクが大きくオーバーステアへ持っていけます。しかしニュルブルクリンクは速度域が高いので変速機のギヤ選択は当然高いギヤ比で走ります。そのためオーバーステアへ持ち込めないのです。前後のタイヤの回転数差も小さく、前輪へのトルク配分も少ないということに気が付くまで時間がかりました。

栃木のテストコースの周回路で駆動力配分をどうするか試すときには、せいぜい100〜120km/hだったので、それ以上の速度でどうなるか。ニュルブルクリンクではハンドルも切り過ぎたり遅れたり、ブレーキも踏み過ぎたりの繰り返しで、こちらがヨタヨタ走っている横を、ポルシェやBMWが苦もなくぶち抜いていくのですから、ドイツ車の性能の背景が、ようやくそのときにわかりました。

ドイツへ行くと聞かされたとき、アウトバーンは知っていましたから速度無制限で走れるのかくらいに思って現地へ行きました。当時はニュルブルクリンクなんて日本ではあまり知られていませんでしたから、まさしく度肝を抜かれましたという感じだったのです。

RB26DETTが出来上がりましたが、日本の速度域ではトルクの盛り上がりをあまり感じられず『畑を耕すにはいいかもしれないね(笑)』と言っていました。しかしニュルブルクリンクでは、いつまでも加速し続け、恐ろしいほど伸びやかに速度を上げていく。エンジン開発者に、悪口を言ってごめんと謝りました。

このような初めての体験を乗り越えてのR32GT‒Rですから、結果として皆さまに認められる走りにできたのだと思っています」

日本のテストコースでニュルの速度域を再現し磨きをかけた

電子制御4WDへの挑戦のほかに、HICAS(ハイキャス)と日産が名付けた後輪操舵も、GT‒Rの開発では難題を投げかけた。80年代にはトヨタやホンダからも4輪操舵技術が提案され、市販された。中でもHICASは高速域での活用を主眼とし、前輪と同じ方向へ後輪を操舵する(同位相)ことで走行安定性を高める機構だった。

「HICAS自体は、R31スカイラインから採用され、R32から油圧でラックを操舵するスーパーHICASへ進化しています。それによる走行安定性の高さは、定常円旋回では機能しますが、ニュルブルクリンクのように高速で右へ左へ切り返すようなカーブの連続では、後輪操舵の切り替えに一拍遅れが出て、切り替えした後に素早く姿勢が作れない。運転操作と一体感を出すのに、やはり時間がかかりました」

ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)も、苦労した要素だと加藤氏は言う。そもそもABS自体、80年代にようやく普及し始めた電子制御機能であり、まして4WDでABSを働かせられるようになるのは後になってのことだ。

「ABSは、前輪と後輪の回転差があって成り立つ機能で、前輪と後輪がほぼ同じ回転で駆動して走っているとき、横滑りが起きてブレーキを踏んだときには、かえってABSの作動を止めてしまう状態でした。上司にその状況を書き出せと言われましたが、とても言葉にできるような様子ではなく、結局、しばらくはわたし以外GT‒Rの運転ができない時期もあったのです」

当時の実験部では、加藤氏ひとりが電子制御4WDの開発者として担当していたため、代われるテストドライバーもいなかった。それでも仕上げが独りよがりになってはいけないとすり合わせの話をする相手はいたが、GT‒Rのすべてを知り体感し、検証できるのは、実質的に加藤氏ひとりであったと言えた。

そういう加藤氏自身も新しい技術要素を含め、ニュルブルクリンクというコース、そこでの未知の速度域での操縦安定性の造り込みという、初めてづくしの開発での過程では、自らの運転技量の向上にも励む日々でもあったという。

「ニュルブルクリンクでの走行を模擬しながら栃木のテストコースで次の段階へ向けた開発をするため、ニュートラルスピード(実質の最高速)が190km/hの高速周回路バンクの内側(下側の平面部)を180km/hで突っ込んでみたりして、駆動制御の状態を確認していました。そこは回転半径が300mあるので、ニュルブルクリンクを模すにはちょうどいい。ところが、当時のわたしはA2という運転資格しか持っていませんから、走行規則違反でコース管理者との追いかけっこになりました。

しかし、規則を守っていたのではニュルブルクリンクの走りを再現することはできません。しかもニュルブルクリンクを模擬した超高速での運転習熟の過程ですから、同じ走り方が十中八九できなければデータ取りできないわけです。最終的にA1を取得しますが、それはR32 GT‒Rが発売される数カ月前のことで、開発は終わっていました(笑)」

R32 GT‒Rがいよいよ世に出たとき、加藤氏の気持ちはどうであったのか。

「それはもう、鼻高々ですよ。参考にしたポルシェ959は路面状態に応じたモード設定がありましたが、GT‒Rはモード切り替えなしで、舗装路から氷雪路面まで走れたのですから!」

(この記事は2023年6月1日発売のGT-R Magazine 171号の記事を元に再編集しています)

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