苦しみ抜いた2023年度シリーズ最終戦、仕様変更で一変する!!
ドリフトがモータースポーツとして開催されるようになってまだ歴史は浅い。そんなドリフト競技においても2世ドライバーが頭角を現している。その筆頭が箕輪大也だが、彼以外にも活躍する2世ドライバーは多い。アメリカのフォーミュラドリフトに参戦し活躍したケンジ・ヤマナカを父とするのが、グッドライドモータースポーツのワークスドライバー、山中真生だ。2021年にFDJ2に参戦し、チャンピオンを獲得。2022年からフォーミュラドリフトジャパンに参戦し、その年にグッドライドモータースポーツのワークスドライバーに抜擢され、フォーミュラドリフトジャパンは今年で参戦2年目となる。
いとも簡単にドリフトをしてみせた2世ドライバーならではの天性の才能
山中真生のドリフト歴は浅い。小さい頃は父に連れられて、父が走るサーキットなどに行くことはあったが、その後はドリフトだけでなくモータースポーツとは関係のない環境のなかで育ってきた。現在26歳。まだドリフトを始めて6年目の選手だ。
ドリフトの世界に足を踏み入れたきっかけはシミュレーター。20歳のときにシミュレーターでドリフト走行を体験し、すぐにある程度できてしまった。そこで父に「1回実車に乗せてくれ」と頼み、「やれるものならやってみろ」と乗ったのがJZX90マークII。父が当時持っていたドリフト仕様のマシンだった。
乗ってみたら予想以上にドリフトができてしまい、その後走行会でのミニドリコンに参加する。初級クラスだったが優勝。それから自分でS15シルビアを購入してMSCチャレンジに出場し、2021年から始まったFDJ2に参戦。開幕戦は予選2位、決勝2位を獲得した。しかしシリーズチャンピオンを獲るには、自分のS15シルビアではすペック的に劣っていることを感じ、グッドライドのS15シルビアを借りて第3戦から出場し、シリーズチャンピオンを獲得した。
フォーミュラドリフトジャパン参戦2年目の今年、A90スープラを導入。2JZエンジンに東名パワードの3.6Lキットを組み込んだマシンだ。現行車で見た目もスタイリッシュなスープラでチャレンジとなったが、第1戦から第4戦まではマシントラブルでリタイアの連続だった。新規車両導入ということもあり、毎戦壊れる場所も違う。それらのトラブルを解消しながら1戦1戦乗り越えていくという戦いが続いた。しかし第5戦では予選25位から決勝8位、最終戦の第6戦は予選28位から決勝8位を獲得した。
A90スープラを導入してからは苦難の連続であった
今回の最終戦、トップ32はワンモアタイム1回、トップ16はワンモアタイム2回、グレート8ではワンモアタイム3回と、グレート8で敗退するまで9回の追走をこなした。これは過去最多だろう。優勝したKANTAが5回だったため、単純に考えても2戦分戦ったことになる。結果8位で終了したが、今回はドライバー、マシンともにフォーミュラドリフトジャパンで十分に勝負になると感じさせたラウンドとなった。
この最終戦で、山中真生のチームはスープラの仕様変更を決行。シリーズランカーに勝つためには馬力が欲しかった。タービンを換え、クルマのセッティングも色々変更して以前の約800馬力から約990馬力に大幅にパワーアップ。戦えるマシンであることをこの最終戦で証明できた。
今回はトップ32からトップランカーとの戦いが続いた。トップ32で対戦した松井有紀夫はフォーミュラドリフトジャパンでは成績は残していないものの、長年D1GPで活躍する選手である。トップ16では小橋正典、グレート8では箕輪大也とトップランカーと戦った。今回はトップ32からファイナルを戦っているつもりで走り続けたと山中真生はいう。
「たしかに厳しい組み合わせでしたが、ファイナルまで勝ち進めばどうせ戦わなくてはならない相手だし、こういった人たちを倒さないと上にはいけない。全力を出して戦い続けました」