思わず頬がゆるむ楽しさを持ち合わせる
編集部員それぞれの目線で印象をリポートするAMWリレーインプレの第7弾はアバルト「695トリビュート131ラリー」だった。幼少期からアバルトに興味があった私は会議中にうっかりニタニタしてしまった、これって順番から言って私のために企画をしてくれたインプレ車ってことだよねえ、と(大きな勘違いでしたが……)。
2007年に復活を遂げた新生アバルト
アバルトを見てハナヂを吹きそうになった(注:興奮している時の表現です)あの頃の私の話を少々させていただくと、小学生時代は丸いテールランプのクルマがカッコいい! と思っていたこともあり、「スカイラインGT-R」(BNR32)に興味があった。
これと言って知識がなく、エンジンが~レースが~なんてのは正直どうでもよかった。そんな小学生の時、4年生の頃だっただろうか……ド田舎の秋田の山道を家族で移動中に真っ赤なクルマが突如現れた。
「なに? あれ? ちょっと追いかけて!」と親にせがみ、しばらく追いかけるとイベント名こそ忘れたが、クラシックカーのイベントに参加している車両だった。その時に見たクルマこそ、「フィアット アバルト750レコルトモンツァ」……と知ったのはあとの話だけれども。
そこからアバルトにひと目惚れをしたのは言うまでもなく、雑誌を買い漁って脳みそに知識を叩き込む日々を送ることに。小さなマシンで大きなマシンをカモる……しかもデザインも美しい。サソリの毒はあっというまに私の体内に混じってしまったようだった。
ちょうど私の年齢(32歳)だと、純アバルトなクルマが登場しておらず、いわゆる名ばかりのモデルが多かった。 そんなこともあって、復活したら絶対に目にしてやる! と思っていたら、2007年にアバルトが復活。当然、私は見に行った。まだ免許がないにもかかわらず、当時のアバルト東京にデビューしたばかりの「グランデプント」を見に行った……のだけれど、今度は横に展示されていた「1000TCR」を初めて見ることができて、ハナヂを吹きそうになった。
その2年後には、「フィアット500」をベースにした「アバルト500」が登場。たしか2009年の東京オートサロンでデビューしたはずだが、残念ながら見に行くことができず悶々として時を過ごすと、同年の9月に「アバルトロードショー」というアバルト グランデプントとアバルト500の2車種を都心部で走らせ、特定の場所でじっくり見られるというイベントがあるというではないか! それを聞きつけ、見に行ったのも今となっては懐かしい思い出だ(アバルトキャンペーンガールもいたから、余計に覚えていたりして……)。
戯言が長くなってしまって申し訳ないが、最近までのアバルトについてもう少しだけ触れておくと、2009年1月に日本デビューを果たし、同年11月には「esseesse」(イタリア語でSS、スーパースポーツといった意味=高性能版)キットを発売。のちに、595や695といった500シリーズの高性能モデルも追加された。現代のアバルトもファンにとって、夢と希望と期待を与えてくれる、そんな存在だった(アバルトのグレード詳細についてはAMW竹内のレポートを読んでほしい)。
3度のタイトルに輝いた傑作マシン
今回リポートする、アバルト695トリビュート131ラリーをあらためて振り返ると、WRCを制した「131ラリー」に敬意を捧げるモデルとして2023年6月に発売された、世界限定695台の限定モデルだ。 その前にフィアット「131アバルトラリー」がどんなクルマだったのか触れておくと、ベースとなったのは1974年に登場したミドルサルーンのフィアット「131ミラフィオーリ」。
正直なところ、ラリーファンでさえWRCで活躍するようなクルマには見えなかった。いたってコンパクトな実用車のファミリーセダンだったため、どう頑張っても厳しいのでは……と思っていた矢先、1975年にフィアットの首脳陣は、傘下に入っていたアバルトにラリーカーの開発を要請し、1976年1月にリリースされた。オヤジセダンの131ミラフィオーリにアバルトの魔法がかけられたことで闘えるマシンになったのだ。
ベース車両の排気量は1.3L(65ps)と1.6L(75ps)2本立てだったのに対して131アバルトラリーは、フィアット132用の直4 DOHCユニットを4バルブ化した、2L直4 DOHCを搭載(140HP/6400rpm、18kgm/3800rpm)。エクステリアはベルトーネが請け負い、フロントの大きなエアダムは、太いタイヤを収めるべくフェンダーと一体化することで空力を意識したデザインとなった。
Cピラーの上にはルーフスポイラーが装着されるほか、トランクにはボディ一体型のスポイラーを採用していた。ストラダーレは400台が生産され、ラリーでは1977年、1978年、1980年にタイトルを獲得しているフィアットの名車だ。ちなみに、日本ではガレーヂ伊太利屋が輸入し新車価格は680万円だった。
実車を見ることができた当時高校2年生の私は、「イタリア人ってすごいなぁ、フロントエアロとフェンダーを一体化させちゃうんだもんなぁ……」とシゲシゲと眺めた記憶がある。