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60年前の東京モーターショーで話題をさらったプリンス「1900スプリント」とは? 幻のコンセプトカーはスカリオーネの香り!?

再生された1963年のコンセプトカー、プリンス1900スプリント

60年前の東京モーターショーで展示されたコンセプトカーが再生

今を去ることちょうど60年前、1963年に開催された「第10回東京モーターショー」にて会場を沸かせたコンセプトカー「プリンス1900スプリント」の再生車両が、2023年9月29日(金)から10月24日(火)まで日産グローバル本社ギャラリー(横浜市)で特別展示されている。日産自動車との合併以前、「プリンス自動車工業」時代にイタリアの鬼才フランコ・スカリオーネと手を携えて製作された、まさしく伝説的な試作車。そして、さるプリンス愛好家の情熱から製作された再生車両について、お話しさせていただこう。

幻に終わったスカリオーネとプリンス自動車とのコラボ作品とは

スカイライン伝説の生みの親であるプリンス自動車工業は、旧立川飛行機および旧中島飛行機の流れをくむことから、テクノロジーコンシャスな自動車会社として知られていた。しかしそのかたわらで内外装デザインの重要性にもいちはやく着目し、1960年代に日本の自動車業界で一大ムーブメントとなるイタリアのカロッツェリアとの協業にも、ほかのメーカーを先んじて進出してゆく。

プリンスの首脳陣は、1959年末に同社の意匠設計課トップである井上 猛をイタリアへと派遣。すでに欧米で名声を築いていたジョヴァンニ・ミケロッティに、スポーツクーペ/コンバーチブルのデザインワークを発注した。その成果が1960年のトリノ・ショーにて、カロッツェリア「アレマーノ」の手による試作車をデビューさせたのち、1962年から計60台(ほかに諸説あり)が製作された「スカイライン スポーツ」である。

いっぽう当時のプリンス自動車では、旧通産省の国民車構想も意識した小型車を、同社のエントリーモデルとして開発していた。社内では「CPSK」と呼ばれていたそのプロジェクトは、600~800ccの水平対向エンジンをリアに搭載するRRセダンで、いかにもプリンスらしい高度なテクノロジーが満載されていたという。

ところで井上 猛のイタリア行きは、もともと本場の自動車デザインを学ぶためのものだったそうだが、研修先を見つけるのに難航したとのこと。そこで彼に手を差し伸べたのが、ベルトーネとのコンサルタント契約が満了し、完全フリーとなったばかりのフランコ・スカリオーネだったという。

そして、スカリオーネのオフィスに出入りを許された井上は、CPSKをベースとする4人乗りクーペの「CPRB」をスカリオーネとともにデザイン。実際にスカリオーネ風スタイルの試作車も製作された。ところが、高等技術にこだわるあまりコスト高が明白となっていたCPSKプロジェクトは廃案となってしまったことから、同時にCPRBプロジェクトもキャンセルとなってしまう。

かくして発表の場を失ったCPRBながら、日本に帰国した井上はベース車両を2代目S5型スカイラインに移行して、CPRBのデザイン要素を組み合わせた。そして、当時は三鷹にあったプリンス本社工場で木型を組み、ワンオフ製作されたのが1900スプリントだったのだ。

S54系「スカイライン2000GT」が登場する以前のS5系スカイラインには、直列4気筒OHV 1484ccのG1型エンジンが搭載されていたが、1900スプリントは初代グロリアやスカイライン スポーツと同じ、直列4気筒OHV 1862ccのGB4型エンジンを搭載。

モーターショーの観衆からは、スカイライン スポーツに次ぐ超高級スポーツモデルとして生産化を期待されたものの、こちらもプロトタイプのみに終わってしまった。

いちエンスージアストの情熱が、日産を動かした

モーターショーでの役割を終えたプリンス1900スプリント試作車は、1980年代中盤まで日産社内に保管されていたとのこと。しかし残念ながら、日本メーカーにおけるコンセプトカーの多くがそうであったように、廃棄処分とされてしまったそうだ。

このほど日産ギャラリーに展示されたのは、日産のクルマ作りの歴史的調査や資料収集を行っている有志グループ「日産アーカイブズ」所蔵の貴重な資料をもとに往年の雄姿を再現した、いわゆるレプリカ。でもそのレベルは、近年流行りの「リ・クリエーション」あるいは「コンティニュエーション」と呼ぶに相応しいものといえよう。

製作者でありオーナーでもある田中裕司氏は、いち個人ながら熱心なプリンス愛好家。彼の「実車が存在しないなら作ってしまおう」という思いからスタートしたこの再生プロジェクトは、同氏が日産アーカイブズに図面などの資料提供を求めたことから、その驚くべき意欲に応えるかたちで、日産側も動き出したとのことである。

まずは日産アーカイブズにも1900スプリントの図面はなかったことから、日産モータースポーツ&カスタマイズのオーテックデザイン部が、1900スプリントの古いプロフィール写真からボディ各部のサイズを割り出して、縮小サイズのクレイモデルを制作。くわえて、日産自動車デザイン本部でもモデラーの教育プログラムの一環として、クレイモデルを作った。

さらにオーテックデザイン部では、現在のカーデザインで多用されている3Dソフトの教育プログラムとしても、このプロジェクトを活用したという。

そしてクレイモデルとそれらのデータをもとに、S5型スカイライン用モノコックのフロアをベースとして、大阪のスペシャリスト「INDEX」によって作りあげられることになった。しかし、オリジナルでは手叩き鈑金だったボディワークについては、複雑怪奇なラインを打ち出せる職人を見つけるのはもはや不可能にも等しいという判断から、FRPで形状を完全再現することになったとのことである。

スカリオーネに対するリスペクトが感じられる美しいデザイン

こうして、ひとりのエンスージアストの情熱からスタートし、約3年の時を経て完成した1900スプリント再生車は、2023年5月に鈴鹿サーキットにてシェイクダウンテストを行ったのち、この秋日産グローバル本社ギャラリーにて、はじめて公衆の面前に姿を現すことになった。

代表作のひとつであるアルファ ロメオ「ジュリエッタ・スプリント」を所有し、スカリオーネには少なからざる敬愛の想いを抱いていた筆者は居ても立ってもいられず、横浜の日産本社まで見学に伺ったのだが、その印象は控えめにいっても衝撃的なものだった。

中学生のころから買い漁っていた古本の自動車雑誌で、プリンス1900スプリントがショーデビューした際のレポートを読んでも、そのデザインについての評価は決して芳しいものではなかったものと記憶している。ところが、こうして流麗な曲面に包まれた1900スプリントを目の当たりにしてみると、予測をはるかに上回る美しさに圧倒されるとともに、もともと航空機エンジニアを目指して工科大学を卒業したスカリオーネの意向も明確に見受けられた。

直線や折れ線がほとんど見られない、きわめて複雑な曲面フォルムは、アルファ ロメオとスカリオーネ時代のベルトーネが製作した一連の「B.A.T.」や「ジュリエッタSS」、あるいはスカリオーネ最高傑作とも称される「ティーポ33.2ストラダーレ」などを連想させるもの。実際にデザインをまとめたのは井上 猛だが、1900スプリントにはスカリオーネに対する井上のリスペクトが込められているかに感じられたのである。

この素晴らしい展示が見られるのは10月24日(火)まで

日産グローバル本社ギャラリーにおける今回の特別展示では、「日産ヘリテージコレクション(神奈川県座間市)」から1900スプリントのベース車両となったプリンス時代のスカイライン1500デラックス。そして、カロッツェリア「アレマーノ」が架装したプリンス スカイライン スポーツ試作車も一緒に並べられるとともに、イタリアの巨匠たちとプリンス自工の知られざるストーリーも、秀逸なスライドショーとして紹介されている。じつはこのレポート記事も、会場で食い入るようにして観たスライドショーを参考にまとめたものである。

この特別展示は、2023年10月24日(火)までとのこと。1900スプリント再生車はあくまで個人所有車であることから、このさき公衆の面前に姿を見せる機会があるのか否かは、少なくとも現時点では不明である。だからこそこの絶好のチャンスに、ぜひともご覧いただきたいところなのである。

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