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バブル期の「三種の神器」のひとつだった「BBS」じつはメイド・イン・ジャパンの技術が世界で認められたホイールでした

メーカーロゴが立体的に見えるBBS伝統のセンターキャップ。基本は黒地にゴールド文字だが、こちらもオプションで赤ベースの設定がある

クルマ好きで知らない人はいないBBS。でもじつはよく知られていないところを詳しく解説

クルマ好きならみんな知っている一番有名なホイールメーカーといえば「BBS」ではないだろうか。最近、世間をざわつかせるニュースが飛び込んできたBBSだが、誤解している人も多いかもしれない。ホイールメーカーとして一世を風靡し今なお大きな人気を誇るBBSについて、改めてその技術や歴史を振り返りながら解説しよう。

高額だからこそ価値があったBBSホイール

バブル期のころ、六本木などで見かけるBMWやメルセデス・ベンツは、かならずといっていいくらいBBSのホイールを履いていた。そういう人たちのほとんどはホイールの機能うんぬんではなく、お金持ちのアイコンとしてBBSのホイールを認識していたと思われる。時計でいえばロレックスみたいな感じで、機能ではなく値段でものを見ている人たちに、BBSのホイールは人気となっていた。

実際そのころのBBSホイールは高価だった。しかしそのプライスには理由がある。クルマ好きであるならどんな価値があってそのプライスとなっているのかを知っておきたいところだし、逆にいえばあきらかに他のものよりも機能的に優れているのなら、たとえ高価であってもそれを手に入れようとするはず。第一クルマというのがそういうものなのだから。

特徴的なメッシュデザインが誕生

ではなぜ、BBSが選ばれるのか。歴史からひも解いていこう。BBSはドイツ・シルタッハで1960年に創業された、クルマの整備工場が元祖となっている。創業者はハインリッヒ・バウムガルトナー氏で、氏は1961年からレース活動も開始し、チューニングに関するノウハウを積み重ねていった。

1966年、バウムガルトナー氏はBMWのレーシングコンストラクターとして知られるようになり、1970年には同郷の友人、クラウス・ブラント氏と自動車部品の製造をおこなう会社を立ち上げた。これがBBSのはじまりである。BBSとはバウムガルトナーとブラントのBB、シルタッハのSを組み合わせたもの。当初の製品はFRP製エアロパーツだったそうだ。

その後BBSは、ツーリングカーレースだけではなくフォーミュラカーなどのトップカテゴリーでも、ホイールの軽量化というものが徹底されていないことに着目。1973年に力学的に優れた独自のメッシュデザインを採用した、鋳造製法の3ピースアルミホイールを開発した。

しかし鋳造製法は、デザイン再現性に優れるという優位性はあるが、軽量高剛性という部分では金属に圧力を掛けて成型する鍛造製法には及ばない部分がある。そのことを理解していたBBSは、メッシュという複雑なデザインを再現できる鍛造製法の技術開発をはじめた。

アルミニウム製造が盛んな富山のメーカーが実用化

ちょうどそのころ、アルミニウム製造が盛んな富山県で、繊維編機用の大型糸巻きビームの製造販売会社として、ワシマイヤー株式会社が設立された。富山県は立山連峰を後背に持ち、黒部ダムでの水力発電をはじめとする豊富な電力に恵まれている。さらに良質な港を持つことから水運も盛んで、材料の搬入にも困らない。そのことが、大電力を必要とするアルミニウムの製造に適しているということから、多くのアルミニウム製造メーカーがあり、現在も日本有数のアルミ生産量を誇っている。当然そこには、アルミを加工するメーカーも多く存在し、さまざまな技術開発がおこなわれている。

ワシマイヤー社はそれらのライバルたちの中で、大きな耐荷重が求められるボビンの強度を満たすための技術開発を続け、素材を回転させながら分割鍛造するという技術を開発。比較的安価な設備で高品質アルミ鍛造製品をつくり出す技術を実用化させた。

メイド・イン・ジャパンの技術が世界で認められた

1981年、BBSは鍛造製法を確立するためには高額となる設備投資が必要である、ということから、技術パートナーを探しはじめた。そこには世界中から数多くの企業が参加を申し込んだそうだ。しかしBBSが求める技術水準に達しているメーカーは少なく、ともするとBBSのブランド名を利用することを目的としているようなところもあったそうだ。

そんな状況の中、ワシマイヤー社はBBSに対して技術提携の申し込みをおこなう。それを受けて訪日したバウムガルトナー氏は、複数の日本メーカーを視察したのち、ワシマイヤー社の分割鍛造技術を確認し、技術提携を結ぶことを決定、1983年に日本BBSが誕生した。

名作「RS」の誕生、そして鍛造1ピースの実用化

その日本BBSが1984年につくり出したのが、名作といわれる「RS」である。日本BBSはRSを製造するにあたって新たに5000トン鍛造プレス機を導入し、高強度と軽量を担保する鍛流線を維持しつつ、美しいディッシュ面を再現するための技術を実現。それによってつくられた鍛造3ピースのRSは、日本国内の安全基準はもちろん、ドイツにおけるOEM基準のテストにも合格をし、市販されることとなった。

1985年にはメッシュデザインの鍛造1ピースホイール「RG」を開発。ディスク部とインナーリム、アウターリムという3つのパーツをピアスボルトで結合する3ピース構造に比して、強度にも軽さにも優れる1ピース構造の鍛造ホイールは、製造に関する技術的な難易度が高くさまざまなホイールメーカーが開発を続けていたが、実用化には至っていなかった。それを世界ではじめて実用化したのが日本BBSの技術である。その技術力に対してアメリカ・SEMAショーは技術革新大賞を授与。さらに日産「スカイライン」へのオプション設定を皮切りに、自動車メーカー各社に対するOEM供給も広がりはじめた。

BBSジャパンとドイツのBBSモータースポーツは別会社でありパートナー

その後BBSは、1992年にスクーデリアフェラーリF1チームへのマグネシウム鍛造ホイールの供給を開始し、トヨタや日産、マツダなどの国内自動車メーカーや、イギリスなど海外の自動車メーカーへのOEM供給を拡大。1994年には鍛造で使用する金型を内製化したことで、開発から生産までの工程を適正化する。大径化するホイールへの対応として9000トン鍛造プレス機や1万2000トン鍛造プレス機を導入するなど、たゆまぬ技術開発を続けている。

現在のBBS鍛造ホイールは、すべてBBSジャパン(2013年に日本BBSから商号変更)が設計、生産を行っている。ドイツにあるBBSは鋳造ホイールメーカーで、それぞれ別会社だがパートナーとして協力関係にある。ただし、レーシングホイールに関してはBBSジャパンの100%子会社であるドイツのBBSモータースポーツが供給をおこなっている。現在のF1で使用されている18インチホイールは、BBSモータースポーツが設計し、日本で製造された鍛造成型品をドイツに送り、切削加工をおこなって完成品を仕上げている。

一方で日本国内のレーシングマシンで採用されているレーシングホイールは、国内で設計・生産をおこなっているが、そこにはBBSモータースポーツで開発された設計思想や生産技術が活かされている。

このようなドイツと日本の技術の融合があったからこそ、腐食などの問題があって市販は無理といわれていたマグネシウム鍛造ホイール「RE-Mg」をつくり出すことができたのだろうし、熱管理の厳しさと素材の均一化の難しさからこれも市販は無理ではといわれていた、超超ジュラルミン鍛造ホイール「RI-D」を世に送り出すことができたのだろう。

価値に裏打ちされたからこその価格

以前、某レーシングチームの総監督に話を伺ったことがある。その要旨をまとめると、次のようになる。

「ホイールの強さ、剛性というのはよくいわれるが、BBSは本当に必要な部分が強い。だからタイムが出るしタイヤの持ちもいい」

これはなにもレーシングカーだけに通用するものではなく、市販車にとっても大事なもの。よくレースで得たノウハウを市販車用アイテムに活かす、ということがいわれるが、BBSはそれをストレートに実践しているメーカーである。優れた技術に対しては、相応の対価を支払うのがあたり前。そう考えたとき、はたしてBBSのホイールは高価といえるのか。判断するのはユーザーである。

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