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【R33「GT-R」開発秘話】テストドライバーも嘆く開発スタート「最初はR32の水準を大きく下回っていました」

東京モーターショーに登場したプロトタイプ。R32の意匠も生かしたデザインだった

ひたすらさを追求したBCNR33

日本のみならず、世界中のクルマ好きに愛されている日産「スカイラインGT-R」。電子制御4WDなど、その開発には相当な苦労があった。その運動性能を取りまとめたのが、日産自動車 車両実験部の加藤博義氏である。当時の開発秘話を語っていただいた。

(初出:GT-R Magazine 171号)

速さはさらに上の領域目指す

R33 GT‒Rはスカイラインのフルモデルチェンジの後、1年半遅れての発売であった。

「GT‒Rに詳しい方はご存じでしょうが、R32とR34のGT‒Rの型式は、BNRとなりますが、R33だけBCNRのアルファベット表記です。Cの文字が入るのはクーペの意味で、派生車の型番です。それほど継続されるかどうか、未確定な存在だったと言えます」

では、R32GT‒R発売後、加藤氏は何を担当していたのか?

「1989年8月にR32GT‒Rが発売され、その年末にGT‒Rの担当を外れています。そして渡邉衡三さん(R33/R34開発主管)から、GT‒Rでレースをやらないかと言われ、レース仕様車を自分で仕立てながらN1レースに出ていました。

また、冬のスウェーデンの氷上で、時速200km/hで旋回するようなこともやっていました。当時、新車開発の各プロジェクトを越えて日産車に高速旋回性能の味を入れるための試験法の解析を任されていたのと、渡邉さんは次のGT‒Rがもっと速くなるだろうと想定し、そうした運転のできるドライバーが必要と下地作りをしたのではないでしょうか」

R33 GT‒Rは、スカイラインがモデルチェンジをした1993年秋の東京モーターショーで、プロトタイプとしてお披露目された。その車両を持って、加藤氏は再びGT‒R開発の担当テストドライバーとしてニュルブルクリンクへ行く。

ニュル8分切りの使命を背負う

「基本的にはBNR32と同じエンジンで、どうやってニュルブルクリンクで8分を切るのかがテーマでした。

R32は知り尽くしていたはずなのに、N1レースに出るため一度分解してレースに不用な部品は外して組み立て直すと、ロールケージなどが追加になる分を合わせても、40〜50kgは軽く仕上がっていたと思います。その軽さと、ロールケージの効果で、こんなにクルマは変わるのかという驚きと発見がありました。

その上で、R33の試作車でニュルブルクリンクへ行ったら、8分を切るどころか、R32の水準さえ下まわる状態で、どうしようかと思いました。R32の開発ではHICASの一拍遅れに苦労しましたが、HICASの機能を止めてもR33の試作車は応答遅れがある。これはおかしい。エンジンやタイヤの性能を生かせず後輪が勝手に動いており、前輪も的確な操舵が得られない。R33を進化させてR32より速く走らせるためには、まずR32と比較できるところまで持っていかなければなりません。車体は、設計者がCADなどを使って造っているので、そこからどうするか。

設計が悪いというより、車体が新しくなる難しさです。試作車をリフトアップし、下からフロア構造をじっと見ながら対策を考えました。

レース車両のようにロールケージを組むわけにはいかないので、フロントのサイドシルを左右繋げてみたり、客室から荷室へ通じていた穴を塞いだり、量産車でできることを試行錯誤して車体の補強をしていきました。これがR33の開発で今でも思い出す最も大変な作業です。同時に自分が施した補強手段が効果を上げたときの喜びは格別で、じつはR33の開発が一番楽しかったですね」

四輪駆動の制御を変更し走りはさらに進化

機構面では、LSD(リミテッド・スリップ・デファレンシャル)が、電子制御を取り入れたアクティブLSDへ、またスーパーHICASも油圧から電動となって、一旦逆位相にしてから同位相へ移行する反転制御が組み込まれ、それぞれ進化していた。

アクティブLSDでは、コーナーへの進入でハンドルを操舵した通りに進路を定められるようになり、ABSとも両立できた。反転制御を備えたスーパーHICASはカーブの切り返しで遅れが出なくなった。この新たな技術が加わったことで、加藤氏の運転の仕方にも新しい技が加わったという。

「スローイン・ファストアウトではなく、速度を落とさなくてもハンドルを切って外側の後輪に荷重を載せると、思い通りにカーブを曲がって行けるのです。それには車体剛性が重要で、ハンドルを切り込んだ瞬間にバネ上の動きを使って後輪が反応するよう剛性を高めなければなりません。ニュルブルクリンクは路面の摩擦係数(ミュー)が低いので、雨が降るとなおさら曲がりにくくなります。そこをどう曲げていくか。この新しい走り方をすることで、非常に乗りやすくなりました。これがR33のすべてだとさえ言えます」

コーナー外側のタイヤに荷重を載せて曲がる手法は、たとえばR32でもグループAのレースで星野一義氏が内輪側を浮き上がらせて走っていたのを思い出させる。当初、星野氏の運転は乱暴な走らせ方なのではないかとの評もあった。しかし、じつは内輪を浮かせて外輪に荷重を載せてコーナーを曲がることによって、タイヤを傷めずに済むことが解き明かされた。これが速さとともにGT‒Rに連覇の勝利を引き寄せた。

レース車両ではネガティブキャンバーの設定となっており、内輪を浮かせることで外輪のタイヤは路面と垂直に接する。タイヤ性能を存分に生かしながらトレッド面をこじらせずにカーブを曲がれる。高性能4WD車ならではの極意だろう。いずれにしても加藤氏もまた、新たな運転領域に達したということだ。

「最終的にR33は、R32の制御で走るとスピンするほどオーバーステアの操縦性になりました。それでも操舵が効きさえすれば、理論的にはアンダーステアになるまで突っ込んで行けばいい。日本でオーバーステアであっても、路面のミューが低いニュルブルクリンクなら問題ありません」

そうした運転をするとハンドルの重さも邪魔になってきたと加藤氏は語る。

「ハンドルが軽過ぎると言う渡邉さんと、議論になったほどです」

もちろん、ハンドルからの手応えは必要だが、重いハンドルを操舵するとなるとそれだけでも操作が遅れる可能性も出る。超高速では、それが致命傷ともなりかねない。

開発の当初は、R32と比べることさえ難しいほど車体剛性の低さに悩んだが、N1レースでの経験を踏まえた対策やアクティブLSD、反転制御の入ったスーパーHICAS、そしてR32からの電子制御によるトルク配分を行う4WDの機構が総合的に働き、さらに新たな運転の仕方が加わって、R33GT‒Rはモデルチェンジの意味や価値を持った次のGT‒Rとして売り出されることになる。

「ニュルブルクリンクでBNR32より21秒速く走り、1周8分を切るということは1kmごとに1秒速く走ることになりますから、並大抵のことではありません。しかも、ほぼ同じエンジン性能でということですから」

ニュルブルクリンクの北コースは、全長が20.8kmある。まさに、1kmごとに1秒短縮をしてみせたのだ。加藤氏は「R32での復活をもってGT‒Rの開発を止めてしまわなかった成果が、ここにある」と振り返る。

GT‒Rが継承されるのかどうか、当時はなかなか明らかにされなかったR33ではあったが、継続は力なりという言葉が、まさにあてはまる成果を残したのであった。

「R33に比べたら、次のR34での苦労はたいしたことはありません」

加藤氏は微笑む。だが、R34にも新たな境地が生まれるのである。

(この記事は2023年6月1日発売のGT-R Magazine 171号の記事を元に再編集しています)

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