バブル期のドイツ車御三家から青春を振り返る
1980年後半から1990年代初頭にかけて、日本を覆い尽くしたのが、バブル景気であった。資産価値の上昇に伴った好景気は社会現象となり、初任給の高騰もさることながら、多くの人が気分的な景気、バブルの泡の中に溺れていた時代でもあったのだ。筆者は当時30代。生意気にもガイシャに乗り、アルマーニでキメて、夜な夜な、青山や六本木、代官山あたりに出没していたのを思い出す。ハワイ三昧だったのもこの頃だ。
190、80、30って何の数字か知ってます?
さて、ここではバブル期のドイツ車御三家について振り返ってみる。ここでいきなりのクイズである。190、80、30……という3つの数字が示す当時のドイツ車は何か?
190は分かりやすいだろう。1985年から日本で販売されたメルセデスベンツ初のコンパクトモデルが「190E」だった。ヤナセの正規販売(535万円~)だけでなく、当時、ブレークしていた並行輸入車も多かった。全長4420mm×全幅1680mmと小型だったため、小ベンツとも呼ばれたものだ。親がヤナセ経由でベンツの大型車に乗っている家庭の子どもたちにも大人気だったと記憶する。
80はどうだろう。ピンときた人は、やはり当時、運転免許を持ち、ガイシャに乗っていたか、ガイシャに憧れていた人に違いない。そう、ここで言う80とは、1986年から1991年に販売されたアウディの小型車、3代目「アウディ80」を差す。当時のアウディは、個人的に「色のないドイツ車」と感じていた。悪い意味ではない。ベンツなどのドイツ車にまつわる強い、あるいはダークなイメージを持たない……という意味だ。ちょっとキザに、「自分色に染めやすいガイシャ」なんて、当時の試乗記に書いていたような……。
一番難易度が高いのが、30(サンマル)である。日本車にもあるような呼び方だが、これはBMW「3シリーズ」のこと。つまり、1982年から1994年まで生産された2代目BMW 3シリーズ=E30のこと。じつは、筆者も1985年型のBMW 325iを所有してバブル期を過ごしたのだが、3シリーズは歴史が長く(初代は1975年~)、現在でもラインアップあるため、オーナーはE21(初代)、E30(2代目)、G20(7代目の現行型)というように呼んでいるのだ。例えば、「ボクのBMWはE30の3シリーズだった」。BMWの仲間うちではそれが常識だ。これはもう周知の事実だが、バブル期の夜の六本木にはE30のBMWがあふれかえり、ゆえに「六本木のカローラ」という不名誉な呼び方をされていたのである。
アッシー君には必須の足車
では、バブル期、以上のバブルを象徴する(?)比較的コンパクトで買いやすかった3台のドイツ車御三家で、女子ウケがよかったのはどれだったのだろうか。筆者の記憶では、BMW→アウディ→ベンツである。
BMW 3シリーズは、あのプロペラマークのエンブレムが象徴するように爽やかなイメージがあり、クルマのスポーツ度も高かったため、あるいは上級のBMWが女子にそれほど浸透していなかったため、BMW 3シリーズに乗っている男は爽やかなスポーツマンタイプ……と勝手にイメージが出来上がったのだ(だから筆者も手に入れた……)。
アウディ80は、むしろお嬢様女子自身が乗るクルマとして人気が高かった。BMWでもベンツでもないクリーンなイメージ、清潔なイメージが、女子ウケしたのだと想像できる。
一方、W201型190Eは、バブル期にすでに上級メルセデスベンツが幅を利かせていたため、「小ベンツ」と呼ばれたように、ベンツのお手頃版……というイメージがついていたようだ。ゆえに、キャリアウーマン(死語)と呼ばれた、ある程度高給取りの30~40代女性の自分へのご褒美、あるいは親がでっかいベンツに乗る家庭が、ヤナセとの付き合いで買い求めた、息子ではなく娘が乗る安全車という立ち位置もあったかもしれない。もっとも、190Eでもドイツツーリングカー選手権(DTM)参戦車のベースモデルとなる高性能な190E 2.3-16、190E 2.5-16は別格。男のロマンを語れる、モータースポーツ好きのための190シリーズだった。