S字コーナーでわかるクルマの素性
右手に東京国立近代美術館を見ながら紀伊国坂を駆け上がっていくと、路面は左車線がパープルに塗られている区間に入る。紫のラインをそのまま左折すると首都高料金所へ、道なりに進むと赤レンガ造りの東京国立近代美術館分室が右手に見えてくる。もともとは近衛師団司令部庁舎である。ここまでのS字コーナーがタイトでツイスティなワインディングといったところ。3速のままブレーキとアクセル操作で姿勢を作ってコーナーを交わしていく。
先日乗ったばかりのウラカンテクニカならば、スイスイと抜けていく感じなのだが、ウラカンテクニカに比べると車高もヒップポイントも高い695トリビュート131ラリーは、ピョコピョコと左右に揺れながらコーナーをクリアしていく。それがコーナーのひとつひとつにドラマが用意されているようで、同じ道を走っていても充実度が違ってくる。
現代のクルマのように電子制御がてんこ盛りではない頃のスポーツカーには、ドライバーの腕でねじ伏せるようにしなければ速く疾走れなかったものが多いが、現代のスポーツカーは、ウラカンテクニカのようなスーパーカーに分類されるようなものでさえ、軽くステアリングに手を添えるだけで、誰でもそこそこ速く疾走ることができるようになった。
もちろん、速く疾走るためにはドライバーに余分な緊張を与えないことが必須で、運転しやすいということが絶対条件となる。その意味では695トリビュート131ラリーは、等しく万人に乗りやすいとは言い難い。その証拠がアフターパーツの多さだ。運転しづらいから、自分のドライビングスタイルに合わせるためにチューニングしたくなるのだ。
赤信号で停車した〈半蔵門〉の交差点で初めて、蠍マークのスイッチに気がついてオンにする。直感的にスポーツモードへの切り替えスイッチとわかる。メーターパネルの表示もそれに合わせてヤル気モードへと切り替わる。クラッチペダルを左足で踏み込み、アルミのシフトノブを1速に入れる。ひんやりとした球状のシフトノブを左手で包んだまま、右足でアクセルペダルを軽く数回煽ってやると、明らかに先ほどとは異なる野太い乾いたエキゾーストサウンドが聴覚だけでなく、シートからの振動でも伝わってきた。
シグナルが青に変わると同時にクラッチを繋いで勢いよく発進、フロントタイヤからの悲鳴に似たスキッド音と盛大なエギゾーストノートが静かな闇に谺する。
〈国会前〉にかけて下り坂となるため、スピードも乗ってくる。実際には破綻するような速度ではないのだけれども、ドライバーが頑張って、というか格闘している気分にさせてくれるところにアバルト695トリビュート131ラリーのレゾンデートルがある。V10ランボルギーニではガヤルドではそのテイストが感じられたが、ウラカンでは希薄になってしまい、ウラカン テクニカではさらに洗練されてしまった。
緩やかな、しかし左足を踏ん張らないと横Gに耐えられないような速度でカーブを抜け〈桜田門〉を越えて200mほど直線を走ると〈祝田橋〉の交差点に出る。シグナルは運良く青。交差点の手前でしっかりブレーキングして2速に落とし、一台もクルマが走っていない交差点をほぼ直角に内堀通りへと駆けていく。
皇居前広場を左手に見ながらのストレートは、695トリビュート131ラリーではなく、私自身のクールダウンと思考をまとめるための区間だ。
トリブートランボルギーニがあってもいいんじゃない
さて、アバルト695トリビュート131ラリーとはなんなのか? かつて595にはトリブートフェラーリというモデルがあった。当時の私の印象だと、トリブートフェラーリは、フェラーリオーナーのガレージに収まっている確率が高かったように思う。フェラーリで公道を走る行為は、ある意味ではストレスの溜まる行為にほかならない。それは、持てるポテンシャルのわずかしか使うことができず、思い切り走らせることができないからだ(走行距離が伸びるのもオーナーとしてはストレスだろう)。そのストレスをトリブートフェラーリを操ることで解消していたと思う。
これはあくまでもただの推測に過ぎないけれど、たまたまウラカン テクニカを試乗した後だったので、695トリビュート131ラリーが同じガレージにあれば、普段使いに695トリビュート131ラリーのステアリングを握っていたいと思う。なぜならば、ウラカンテクニカをドライブする時と同じマインドで、安全な速度域で──あくまでもウラカン テクニカと比べての話だが──刺激的な体験を気軽に得ることが可能となるからだ。
こうしたことからも、695で「トリブートランボルギーニ」が出てもいいと妄想してしまう。ヤマハとコラボしたモデルもあったくらいだから、まあ、メイド イン イタリアということで、これくらいの洒落が効いていても誰も怒るまい。
もちろん695トリビュート131ラリーが1台だけのガレージでもいい。クルマを運転する時は常にアドレナリン全開で走るのも悪くない。バッテリーの残量を気にしながら走るのも大切であるけれど、全開でエンジンとエキゾーストのサウンドに酔いしれながら疾走る方がよっぽど人生は豊かだ(と、このときは個人的に思った)。
結論は出たようだ。スッキリしたところで、〈気象庁前〉シグナルの左コーナーを100キロオーバーで気持ちよく駆け抜けると、突然、目の前に真っ赤な誘導灯が現れた。こんな夜更けに、どこにスピード違反を取り締まる移動オービスがあったんだろうと思いながら、誘導されるままに695トリビュート131ラリーを〈平川門〉の交差点前に停車させる。
後方から近づく足音がハイヒールのそれであることから察するに、ウインドウをノックするのはどうやら婦警のようだ。観念してセンターコンソールにあるスイッチを押してウインドウを開けると、甘い香りが車内に流れ込んできた。遠いむかし、90年代の記憶が蘇る。たしかこれはプワゾンという名の香水だったよなぁ、婦警がこんなパフュームをまとって深夜に駐車違反じゃなくてスピード違反の取締りなんて……。それともこれはサソリの毒にやられた幻覚か──というところで、背もたれを倒した695トリビュート131ラリーのシートの上で目が覚めた。もちろん695トリビュート131ラリーは1ミリも動いた気配なし。しまった、プワゾンをまとった婦警のご尊顔、拝むのを忘れてしまった……夢とはいえ何たる失態。(続く……)