総生産台数206台のみの希少スポーツカー
滅多に見ることができない希少車を、「福岡キューマルミーティング」の会場で発見した。丸目2灯の顔つきや、小柄なそのサイズ感。そこかしこから滲み出る愛くるしい雰囲気に騙されてはいけない、日本生まれのこのスポーツカーの名前は、トミーカイラ「ZZ」(ズィーズィー)。イベントに参加していた山崎剛史さんは、この愛車に出会って13年。いつの間にかセカンドカーも手放して、この「ZZ」オンリーのクルマ生活を楽しんでいる。
そもそもトミーカイラとはどんな会社?
希少車すぎて、その存在を知らない人も多いかもしれない。愛嬌ある表情が特徴的な2シータースポーツ・トミーカイラZZは、京都府で誕生した自動車メーカー、トミタ夢工場が手掛けた車両である。ブランド名となったトミーカイラは、創業者であり社長を務めていた富田義一氏と、副社長である解良喜久雄氏の苗字を組み合わせたものだ。
同社は1984年頃にBMWのチューニングメーカー、ハルトゲの正規代理店も務め、その後に独自のチューニングカーを製作。1987年には日産「スカイライン」(R31)をベースとした日本初の公認チューニングカー、トミーカイラ「M30」を発売。その後に完全オリジナルのスポーツカーを製造するべく、イギリスに現地法人のトミーカイラUKを設立する。そして1997年から1999年の2年間にわたってZZを製造販売した。その後、同社は2003年に倒産しているが、現在はGTS株式会社がコンプリートカーやチューニングカー部門を継承。もちろんこのZZの修理やチューニングも手がけており、トミタ夢工場時代からの技術力と精神性はしっかりと引き継がれている。
日産車好きがここに辿り着いた理由
もともとは日産車が好きだったという山崎剛史さん。若かりし頃はR30「スカイライン」の通称「鉄仮面」やR31を乗り継いでいたそうだが、「日産は車両が重い」ことが気になってしまい、その後オーテックが手掛けた「マーチ12SR」へと乗り換える。この時に軽いクルマを操る楽しさに目覚めたことで、ライトウェイトスポーツ車を探し始めたのだった。
「軽量なスポーツカーをいろいろと調べていって、結果的に行きついたのがこのトミーカイラZZでした。本当はロータス エキシージも気になったのですが、予算の関係で断念。そんな矢先に、群馬県のお店で赤いZZが売りに出されたんですが、すぐに売り切れてしまったんです。そこから1年。今度は京都のお店で販売されたものを、迷わず購入したのです」
生産台数はわずか206台。この事実を知っているからこそ、出会ったタイミングが勝負の分かれ目であり、その好機を山崎さんは見逃すことはなかった。それから13年。「飽きっぽい性格の私が、29歳の頃からずっとハマっています」と語るその言葉には、自身の千里眼に狂いがなかった事を証明していた。
セカンドカーも手放してZZ1台でスポーツカーライフを楽しむ
山崎さんにお話を伺っていて驚いたのは、セカンドカーは所有していない。つまり、これ1台だけで生活しているという事実だった。
「足グルマでチンクエチェントが欲しいなと思ったこともありましたが、妻より“これ以上クルマはいらないでしょう?”というお達しがありまして(笑)。そういう彼女はペーパードライバーなので、基本的にクルマの運転はしません。途中で軽自動車も所有していたこともありましたが、私たちの住まいは駅近なので、日常生活ではクルマは不要。もし妻とクルマで遠出をしたいのならば、レンタカーを借りればいいと割り切りました」
つまり、山崎家にはこのトミーカイラZZしかクルマは無いのだ。ファミリーカーになるかどうかはわからないが、少なくとも奥様とのデートカーにはなりうるはず。
しかも、この手の車両は、万が一の修理代などは一般的な車両よりも高くなる可能性もある。実際、最近ではサスペンションをオーバーホールしたが、構造が特殊なため、どうしてもそれなりの修理費が必要だったのは言うまでもない。それでも、「夫婦ふたりの生活なので、あなたのクルマだけがあれば充分よ」という大変ご理解ある奥様のおかげで、山崎さんは今でも大好きな愛車を手放すことなく、ライトウェイトスポーツのある生活を満喫できているのだ。