1963年式 フィアット アバルト1000ビアルベロGT
「クラシックカーって実際に運転してみると、どうなの……?」という疑問にお答えするべくスタートした、クラシック/ヤングタイマーのクルマを対象とするテストドライブ企画「旧車ソムリエ」。今回の主役は、1960年代初頭のFIA世界スポーツカー耐久選手権GTカテゴリー小排気量クラスを制覇した伝説のレーシングGTにして、その美しさでも今なお世界中のエンスージアストを魅了する「フィアット アバルト1000ビアルベロGT」。しかも、日本のレース創成期に歴史を刻んだ、記念碑的な1台を体感することができた。
GTカテゴリー小排気量クラス無敵の王者とは
イタリアの国民車、「フィアット600」のフロアパンとサスペンションを流用し、カロッツェリアによる特装ボディを組み合わせたレーシングGTモデルは、当初フィアット用を高度にチューンした4気筒OHVエンジンを搭載したが、1958年に登場した「750レコルドモンツァ」を皮切りに、自社設計によるDOHCヘッドつき直4エンジンを搭載した「ビアルベロ」が投入された。
ビアルベロとは、2本の木の棒のこと。転じて、2本のカムシャフトを持つDOHCを指す。カルロ・アバルトから要請を受け、車名の語源であるDOHCヘッドを開発したのは、アルファ ロメオ「ティーポ158アルフェッタ」や、フェラーリ初のV型12気筒エンジンの設計者。二輪車の分野でも「MVアグスタ」の並列4気筒DOHCエンジンを開発した、イタリア自動車史に輝く伝説のインジェニェーレ(エンジニア)、ジョアッキーノ・コロンボである。
1958年、まずは750cc版からデビューしたレコルドモンツァ・ビアルベロは、850cc版や1000cc版なども用意され、それぞれGT/スポーツカーレースで大活躍。さらに1960年代初頭になると、FIAスポーツカー耐久選手権のGTカテゴリーに1000cc以下クラスが成立したことから、アバルトではそれまで国内戦やヒルクライムを戦っていた750~1000レコルドモンツァ・ビアルベロに、大幅な改良を加えたニューマシンを開発。その成果として1962年に誕生したのが、1000ビアルベロGTだった。
1000ビアルベロGTのリアエンドに搭載される直列4気筒982ccのDOHCエンジンは、2本のカムシャフトの間から吸気する珍しいレイアウトこそ、それまでのレコルドモンツァ用ビアルベロと不変ながら、チューニングは格段に高められていた。
また、レコルドモンツァ時代にはザガート社製だったアルミボディは、アバルトとザガートに確執が生じた(どうやら1000レコルドモンツァの支払いについて……?)ことから、「ベッカリス」社を経て「シボーナ・エ・バサーノ」社に委ねられた。
こうして誕生した1000ビアルベロGTは、デビューシーズンの1962年からコンストラクターズ部門年間タイトルを獲得。新たにロングノーズに改められた翌1963年シーズンにもワールドタイトルを連覇し、FIAレギュレーションの最小排気量クラスが1300cc以下に引き上げられるまで、小排気量GTカテゴリーでは無敵の存在として君臨したのだ。
船橋サーキットを独走したヒストリーの持ち主
ところで、シボーナ・エ・バサーノ製のアルミボディを持つフィアット アバルト1000ビアルベロGTは、当初は短めのノーズにナローなリアフェンダーがデフォルトとされていたが、そののちル・マンやモンツァなど高速サーキットでの最高速を稼ぐためにロングノーズ化され、リアトレッドの拡幅を可能とするためにオーバーフェンダーも設けられた。
今回、ステアリングを握るチャンスを得たフィアット アバルト1000ビアルベロGTは、初期バージョンにあたるショートノーズ版で、リアフェンダーもスリークなナロータイプ。そして当時、アバルトの日本総代理店権を有していた「山田輪盛館(通称ヤマリン)」が、トリノ・コルソ・マルケ38番地のアバルト本社から新車として日本に上陸させた、なんと正規ディーラー車である。
しかも1965年7月に船橋サーキットで開催された「第1回全日本自動車クラブ選手権レース大会(通称CCCレース)」に、ゼッケン31番をつけたこの個体は、立原義次のドライブによって出場。スタートから17周目までトップを独走しつつも、エンジントラブルでリタイヤしてしまった……、というレーシングヒストリーも持つ。
ちなみに立原選手のリタイヤ後に、ホンダ「S600」を駆ってトヨタ「スポーツ800」勢と熾烈なバトルを繰り広げた末に優勝を遂げたのが、夭折の天才として知られる浮谷東二郎だった。
それでも、この時のアバルト・ビアルベロGTと立原選手の活躍こそが、まだ創成期にあった日本のカーマニアにも大きなインパクトを残し、アバルトという日本では未知のブランドに情熱を持つ、熱心なファンを生み出すことになったといわれている。この個体は、日本におけるアバルトの歴史において、きわめて重要な個体ということなのだ。
船橋CCCレース以後は、さる老舗製薬会社の当主が長年所蔵したのち、国内のアバルト愛好家の間で敬愛を集めていた故F氏が、新車時にヤマリンで遭遇して以来の憧れをかなえるかたちで、20年ほど前に入手。そして近年、F氏が逝去されたことに伴って、現オーナーである日本アバルト界の重鎮、Mさんのもとへと譲渡されてくることになった。