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伝説の60年代レースで無敵のアバルト「1000ビアルベロGT」は日本に正規輸入されていた! 神の領域のドライブフィールとは【旧車ソムリエ】

1965年7月に船橋サーキットで開催された「第1回全日本自動車クラブ選手権レース大会(通称CCCレース)」に、ゼッケン31番をつけて立原義次のドライブによって出場したヒストリーを持つ個体

1963年式 フィアット アバルト1000ビアルベロGT

「クラシックカーって実際に運転してみると、どうなの……?」という疑問にお答えするべくスタートした、クラシック/ヤングタイマーのクルマを対象とするテストドライブ企画「旧車ソムリエ」。今回の主役は、1960年代初頭のFIA世界スポーツカー耐久選手権GTカテゴリー小排気量クラスを制覇した伝説のレーシングGTにして、その美しさでも今なお世界中のエンスージアストを魅了する「フィアット アバルト1000ビアルベロGT」。しかも、日本のレース創成期に歴史を刻んだ、記念碑的な1台を体感することができた。

GTカテゴリー小排気量クラス無敵の王者とは

イタリアの国民車、「フィアット600」のフロアパンとサスペンションを流用し、カロッツェリアによる特装ボディを組み合わせたレーシングGTモデルは、当初フィアット用を高度にチューンした4気筒OHVエンジンを搭載したが、1958年に登場した「750レコルドモンツァ」を皮切りに、自社設計によるDOHCヘッドつき直4エンジンを搭載した「ビアルベロ」が投入された。

ビアルベロとは、2本の木の棒のこと。転じて、2本のカムシャフトを持つDOHCを指す。カルロ・アバルトから要請を受け、車名の語源であるDOHCヘッドを開発したのは、アルファ ロメオ「ティーポ158アルフェッタ」や、フェラーリ初のV型12気筒エンジンの設計者。二輪車の分野でも「MVアグスタ」の並列4気筒DOHCエンジンを開発した、イタリア自動車史に輝く伝説のインジェニェーレ(エンジニア)、ジョアッキーノ・コロンボである。

1958年、まずは750cc版からデビューしたレコルドモンツァ・ビアルベロは、850cc版や1000cc版なども用意され、それぞれGT/スポーツカーレースで大活躍。さらに1960年代初頭になると、FIAスポーツカー耐久選手権のGTカテゴリーに1000cc以下クラスが成立したことから、アバルトではそれまで国内戦やヒルクライムを戦っていた750~1000レコルドモンツァ・ビアルベロに、大幅な改良を加えたニューマシンを開発。その成果として1962年に誕生したのが、1000ビアルベロGTだった。

1000ビアルベロGTのリアエンドに搭載される直列4気筒982ccのDOHCエンジンは、2本のカムシャフトの間から吸気する珍しいレイアウトこそ、それまでのレコルドモンツァ用ビアルベロと不変ながら、チューニングは格段に高められていた。

また、レコルドモンツァ時代にはザガート社製だったアルミボディは、アバルトとザガートに確執が生じた(どうやら1000レコルドモンツァの支払いについて……?)ことから、「ベッカリス」社を経て「シボーナ・エ・バサーノ」社に委ねられた。

こうして誕生した1000ビアルベロGTは、デビューシーズンの1962年からコンストラクターズ部門年間タイトルを獲得。新たにロングノーズに改められた翌1963年シーズンにもワールドタイトルを連覇し、FIAレギュレーションの最小排気量クラスが1300cc以下に引き上げられるまで、小排気量GTカテゴリーでは無敵の存在として君臨したのだ。

船橋サーキットを独走したヒストリーの持ち主

ところで、シボーナ・エ・バサーノ製のアルミボディを持つフィアット アバルト1000ビアルベロGTは、当初は短めのノーズにナローなリアフェンダーがデフォルトとされていたが、そののちル・マンやモンツァなど高速サーキットでの最高速を稼ぐためにロングノーズ化され、リアトレッドの拡幅を可能とするためにオーバーフェンダーも設けられた。

今回、ステアリングを握るチャンスを得たフィアット アバルト1000ビアルベロGTは、初期バージョンにあたるショートノーズ版で、リアフェンダーもスリークなナロータイプ。そして当時、アバルトの日本総代理店権を有していた「山田輪盛館(通称ヤマリン)」が、トリノ・コルソ・マルケ38番地のアバルト本社から新車として日本に上陸させた、なんと正規ディーラー車である。

しかも1965年7月に船橋サーキットで開催された「第1回全日本自動車クラブ選手権レース大会(通称CCCレース)」に、ゼッケン31番をつけたこの個体は、立原義次のドライブによって出場。スタートから17周目までトップを独走しつつも、エンジントラブルでリタイヤしてしまった……、というレーシングヒストリーも持つ。

ちなみに立原選手のリタイヤ後に、ホンダ「S600」を駆ってトヨタ「スポーツ800」勢と熾烈なバトルを繰り広げた末に優勝を遂げたのが、夭折の天才として知られる浮谷東二郎だった。

それでも、この時のアバルト・ビアルベロGTと立原選手の活躍こそが、まだ創成期にあった日本のカーマニアにも大きなインパクトを残し、アバルトという日本では未知のブランドに情熱を持つ、熱心なファンを生み出すことになったといわれている。この個体は、日本におけるアバルトの歴史において、きわめて重要な個体ということなのだ。

船橋CCCレース以後は、さる老舗製薬会社の当主が長年所蔵したのち、国内のアバルト愛好家の間で敬愛を集めていた故F氏が、新車時にヤマリンで遭遇して以来の憧れをかなえるかたちで、20年ほど前に入手。そして近年、F氏が逝去されたことに伴って、現オーナーである日本アバルト界の重鎮、Mさんのもとへと譲渡されてくることになった。

天に召されてしまいそうなドライビングプレジャー

今回の取材場所となった箱根・芦ノ湖スカイラインのパーキングに、このフィアット アバルト1000ビアルベロGTが弾けるような轟音とともに滑り込んできたとき、われわれ取材チーム一同は美しさに見とれて、しばし言葉を失ってしまった。

レースで一度もクラッシュを経験せず、また長らく室内で大切に保管されていたことから、ボディラインは新車当時のオリジナルが完全に保持されているという。つまりは、日本におけるアバルト60年の歴史を包み込んだ、タイムマシンのような個体なのだが、そんな来歴が持ち前の美しさを増幅させているかにも感じられる。

そして、いよいよ乗り込む時が訪れた。

あまりに低いルーフゆえに、慣れないうちは乗り込むにもアクロバティックな所作を要求されるものの、いざザガート・スタイルのバケットシートに腰を降ろしてしまえば、キャビンは狭さを感じさせることなどない。ドライビングポジションは、まるで地べたに直接座っているようなものながら、ここに落ち着いて簡素な美しさが横溢するコックピットや、低いウインドスクリーンの先に深紅のふたつの膨らみとノーズを通して前方を見据えると、なにやら神聖な心持ちになってくる。

ちなみに以前、同じMさんのご厚意でテストドライブの機会を得たフィアット アバルト「1000TCR」こと1000ベルリーナ コルサGr.2は、ツーリングカーレース用マシンながら、まるでフォーミュラカーのごとくシビアなハンドリングを披露した。

しかしこちらのビアルベロGTは、スプリント戦の多いツーリングカーレースとは違い、スポーツカー耐久レースGTカテゴリーでの活躍が見込まれたマシン。長時間の耐久レースを走ることを目的としていた。しかも1960年代半ばに、レースカーと市販スポーツカーの垣根が一気に高まってしまう直前のモデルであることも理由なのだろう。その乗り味は、意外にもTCRよりはかなりフレンドリーだった。

低速トルクは細いものの、アイドリングはちゃんとしてくれるし、シフトパターンとストロークもスタンダードのフィアット600に端を発する、より常識的なものである。また、クラッチは少々不安感を覚えてしまうほどに軽いのだが、つながりはナチュラルで扱いにくさはみじんもない。

それでも、芦ノ湖スカイラインにてアクセルを軽く踏み込んでみれば、アルミボディゆえに車両重量が圧倒的に軽く、重心も大幅に低いことも相まって、生粋のレーシングGTであることを全身で主張してくる。

例えばコーナーでの身のこなしは、ヒラリヒラリという表現がピッタリとくる軽快なもの。リアに重いDOHCエンジンを積んだRRながら、高速コーナーでのスタビリティも充分に高い。そしてTCRと同じ982ccながら、カムシャフトの数が2倍となるビアルベロ・ユニットは、生粋のレーシングエンジンであった。

劇画チックな擬音で表現するなら、1000TCRのそれと同じく「パアアァァーッン!」と弾けるサウンドなのだが、ビアルベロは少しだけ軽快。また「カミソリの刃のような」レスポンスも同等ながら、年式の古い分トルクの出方は若干おとなしく感じられる。でもTCRよりふた回り以上軽い車体は、明らかにレーシングカー的な加速感にも直結している。

これほど操縦が楽しいクルマは、他にはなかなかないだろう。しかし、このマシンを走らせる感動を何より実感させてくれたのは、クラスは違えどもあのフェラーリ「250GTO」と同じFIA-GTカテゴリーにて、一緒に走ったマシンたちと同型であるという事実。なにより、日本国内で数奇なヒストリーを辿ったことが最大の要因だったと思う。芦ノ湖スカイラインのカーブをひとつひとつ駆け抜けるうちに、自分の重たい体に羽が生えたかのような、幸福な浮遊感に全身が包まれてゆくのだ。

こうして感動的な試乗を終え、乗り込むときと同じくらいに降りにくいコックピットから転がり落ちるように脱出した次の瞬間、筆者は不思議な虚脱感を覚えながらも、この天にも昇るような素晴らしい機会を与えてくださったオーナーMさんに、全身で最敬礼してしまったのである。

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