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「羊の皮を被った狼」や「ネコ脚」とは!? クルマ業界のちょっぴり変な表現を徹底解説します

クルマ業界でよく聞くけどじつは変な表現を解説

雑誌、あるいはWEBマガジンなどの自動車関連メディアではよく目にしつつも、一般的にはあまり見ることのない言葉というものは、たしかに存在する。これからいくつかの例を挙げ、その由来や意味について解説させていただくことしよう。

「羊の皮を被った狼」

もとをただせば新約聖書のマタイ伝7章15節に記された「a wolf in sheep’s clothing」あるいは「a wolf in a lamb’s skin」という言葉。親切そうに振舞ってはいるものの、内心ではよからぬことを考えている人物のたとえである。

つまりは決して誉め言葉ではないのだが、とくに昭和の日本自動車界では、一見おとなしいセダンなのにスポーツカーはだしの高性能を持つクルマに対する、最大級の賛辞として頻用されていた。

自動車界における「羊の皮を被った狼」の起源については諸説があるそうだが、いずれの説を採るにせよ最初にそう呼ばれたクルマが、1964年に登場した「プリンス スカイライン2000GT」であるのは間違いないだろう。

元祖スカイラインGTは、2代目スカイライン1500のホイールベースとノーズを伸ばし、プリンスの上級車「グロリア」用G7型直列6気筒SOHCユニットを詰め込んだ、かなり強引な成り立ちのスポーツセダン。ホモロゲート用に作られた最初の100台には、3基の伊ウェーバー社製キャブレターがオプション装着された。また、翌1965年2月に発売された量産モデルでも、高性能版として分離された「2000GT-B」にトリプル・ウェーバーを継承。当時の国産車としては、群を抜いた高性能モデルとなった。

日本グランプリでの活躍が起源

そして、この表現のはじまりについてのもっとも有力な定説は、1964年5月に開催された「第2回日本グランプリ」にて、同じ2000ccながらFIA-GTカテゴリーに属する生粋のレーシングマシン、故・式場壮吉氏の駆るポルシェ「904GTS」を向こうに回し、生沢 徹氏のスカイラインGTが一時的とはいえトップを快走したさまを、故・三本和彦氏が、東京新聞にて取り上げた際にタイトルとして引用したのが端緒……、というものである。

ただしこの新聞記事については、当時のプリンス自動車広報部から「わが社の労作を狼よばわりするのは……」という抗議を受けた、というエピソードまでオマケについていたとのことながら、その後プリンス自動車からスカイラインを引き継いだ日産自動車では、「羊の皮を被った狼」という表記を、オフィシャルの場でもかなり積極的に使用していたとのことである。

そして同じ表記は、1960年代のフォード「コルティナ ロータス」から1980~90年代のBMW M各モデルなどの輸入車にも引用され、さらに現在の自動車メディアにおいてもその残り香が感じられることもある。

「ネコ脚」

「ねこあし」といえば、一般的には椅子やテーブルの脚部の伝統的なデザイン様式として知られる「猫足」。でも、これが自動車の世界では「ネコ脚」となる。そして自動車メディアでこの表現が使われるのは、原則として英国のジャガー、ないしはフランスのプジョーのサスペンションについて論評するときに限定される。

筆者はプジョーについては門外漢に等しく、残念ながらその由来は知りえていない。だから今回は、自身も愛用した経験のあるジャガーを中心にお話しさせていただきたい。

長らくサルーン各モデルのノーズを飾ってきたマスコット「リーピングキャット」、そして「ビッグキャット」と呼ばれる歴代ジャガー特有の美しくしなやかなスタイリングとも大いに関連するのは間違いないところながら、それにも増して、やはり卓越したシャシーとサスペンションのセッティングこそが、最大の命名理由と見るべきであろう。

時代やそれに伴うサスペンションのスペックの変化を問わず、歴代のジャガーは生粋のスポーツカー、あるいはスポーツサルーンらしいハンドリングを身上とするいっぽうで、NVHを巧みに遮断したしなやかな乗り心地も両立してきた。

そして、あたかもネコのごとくエレガントなジャガーの走行マナーに対して、メーカーないしはディーラー側からではなく、わが国のメディアやファンの間から自然発生的に「ネコ脚」という愛称が誕生。長らくジャガーの代名詞として、敬意と愛情をもって呼び続けられてきたのだ。

ところで、ジャガーおよびプジョーのサスペンションについて考察するにあたって、注目すべきポイントがある。ジャガーに初めてネコ脚なる表現が奉られるようになったのは、傑作「マーク2」のビッグマイナーチェンジ版として1963年に登場した「Sタイプ」あたり。その後1968年にデビューした初代「XJ」サルーンで定着した……、というのが定説となっている。これは日本への自動車輸入が自由化し、黎明期にあった日本の自動車メディアが自由に欧州車を試乗・取材できるような状況になった時期と一致している。

いっぽう、同じくネコ脚の称号で呼ばれるプジョーでは、ジャガーXJと同じ1968年デビューの「504」あたりが元祖になったといわれているようだ。

これら2つのモデルに共通するのは、リアアクスルに当時の量産サルーンとしてはまだ珍しい部類に属していた後輪独立懸架を採用していたことである。

プジョー504は、セミ・トレーリングアーム式。そしてジャガーSタイプおよび初代XJは、「Eタイプ」と基本設計を一にする、ジャガー特有のロワーウィッシュボーン+ラジアスアーム/ツインコイルの後輪独立懸架を採用し、それぞれハンドリングと快適性の「妙なる調和」を実現したことで、当時のメディアなどから最大級の賛辞を受けることになった。

今やジャガーもプジョーも、企業アライアンスによる他ブランドとのコンポーネンツ共用や、グローバル化による個性や乗り味の均質化から、それぞれのネコ脚感はいささか希薄になったともいわれる。それでもよくよく味わっていると、往時の感覚が呼び覚まされることもあるように感じられてしまうのは、乗り手の願望のなせるものかもしれない。

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