911デビュー60周年記念限定モデル
軽量化されたボディに、ハイパフォーマンスモデルのポルシェ「911 GT3 RS」と同じエンジンを搭載した、911のデビュー60周年を記念した限定モデル「911 S/T」。サーキットではなく公道での軽快な走りにフォーカスしたという走りを、イタリアのつま先、カラブリアで試してきました。
純粋にドライビングプレジャーを追求
ポルシェ「911」シリーズは1963年に誕生して以来、60年の長きにわたってその名前と基本コンセプトを変えずに連綿と進化を果たしてきた。世界を見渡してもそんなスポーツモデルは他に存在しない。RRというユニークなレイアウトを手懐ける歴史はそのまま、希代のスポーツモデルを生み出すことになったのだ。実用性とスポーツ性の両立という個性もまたRRレイアウトがあってこその賜物だろう。
現行世代の992は来春にも後期モデルへと発展する予定だ。それゆえ最近では前期モデルをベースとした限定車企画も矢継ぎ早で、例えば車高を上げた「ダカール」などはスポーツカーの新展開として大いに注目を浴びている。
かたやスポーツカー的な走りを楽しみたい硬派なドライブ好きのために用意されたのが生まれ年にちなんで1963台のみ生産されることになった「911 S/T」である。いわばポルシェ911のちゃんちゃんこ、還暦記念モデルだ。
”911 ST”という名に激しく反応した方はかなりのポルシェ通だ。初代911である901シリーズ、つまりナローポルシェの時代にレース用のベースモデルとしてファクトリーを旅立った911Sのスペシャル版。ごく限られた数しか生産されず、また正式にSTという名前をポルシェが与えたわけではなかったため幻のスポーツモデルである。かのカレラRSが登場する1973年以前の2年間、STは世界のサーキットを席巻した。その名前がこの度復活したというわけだ。
ネーミングに込められた二刀流の性能
現代に蘇った911 S/Tは最もピュアでファンな911として企画された。最高速やニュルのラップタイムといった数字を重視するのではなく、純粋にドライビングプレジャーを追求したモデル。シンプルにいえばとにかく“峠道を走って最高に楽しい992”である。ちなみにSTではなくS/Tとしたのは、911S(=スポーツ)であり911T(=ツーリング)という二刀流を表したかったから。付け加えるなら、フォードがSTを高性能モデルの名称として使っているからでもあった。
マニアにとって何より嬉しいのが、911 GT3 RSと同じエンジンをリアに積み込んだこと。すなわち525psの4L水平対向6気筒自然吸気エンジンだ。これに軽量クラッチとシングルマスフライホイールをセットして回転質量を減らしたクロスレシオの専用6速MTを組み合わせる。ダンパーやスプリングといった足まわりのハードそのものはGT3と変わらない。けれどもその制御ロジックはまるで異なっていて、GT3がサーキットでのスタビリティをとにかく重視していたのに対し、S/Tではオンロードでのグリップ性を最大限得るようにセットされている。よりドライビングファンを高めるべくリアアクスルシステムも省かれた。
そんなナカミにエアロパーツも控えめなGT3ツーリングパッケージ仕様のボディを被せたのだから昔からの911ファンにはたまらない。ナローのSTもまたリアスポイラーなどのエアロデバイスを持たなかった。ナローSTではGFRP(ガラス繊維強化樹脂)やアルミニウム、薄板スチールなどを活用して軽く仕立てられていたが、新しいS/Tでもそのコンセプトは変わらない。軽量素材としてCFRP(カーボン繊維強化樹脂)を多用する。
ボンネット、ルーフ、フロントフェンダー、ドア、ロールケージ(オプション)、リアスタビ、シアパネルなどをCFRPとした。PCCBやスポーツエグゾーストの採用に断熱材の削減など、とにかく軽くすることに徹した手法は、金属製エンブレムをデカールに変えてまで軽量化にこだわったナローSTの精神に準ずるものだろう。
結果、S/TはGT3ツーリングパッケージ仕様に比べて40kg軽い1380kgに収まる。991ベースの911Rが1370kgだったから、パワーウェイトレシオで上まわった。もちろん992世代で最も軽い911だ。
ギアチェンジがとてつもなく楽しい!
国際試乗会はイタリアのつま先、カラブリアで開催された。試乗会の場所としてはとても珍しく、業界に30年以上身を置く筆者も初めての場所。けれども近くにはポルシェが所有する有名なナルドサーキットがあり、さらにドイツ周辺で満足なテストのできない冬場などにテストクルーは好んでこの辺りを走っているらしい。今回はS/Tが磨き込まれた場所でメディアテストを行うというわけだ。さて、その走りはいかに?
海辺のビーチハウスで濃紺のヘリテージパッケージを受け取った。ブラウンレザーとの組み合わせはまさにクラシック! スポーツモデルなのにシックというミスマッチが最高にオシャレだ。
エンジンを掛け、野太い唸りに誘われてついブリッピング。シャーン、シャーンと明らかに軽い回り方をする。最新モデルにしては重めのクラッチを踏み込んだ。アイドリングでミートさせてスタート、と思ったらいきなりエンスト。軽いフライホイールのためエンジンが切れ味鋭く回るから、ナローを思い出して軽く煽って繋いだ方が良さそうだ。
海岸線から小さな街をぬけ、山道へと入っていく。低中速域における一般道の乗り心地は想像以上に良かった。助手席も含め、硬くて嫌になるということがない。車体とつねに一体となって動くのだけれども、不思議と不快なショックだけは身体に伝わってこないのだ。
林道のようなワインディングに入った。サスペンションをスポーツにセット。今度こそGT3のようなフラット&ハード感を予想したのに、ほとんど変わらない。ちょっとハードになっただけで、GT3のように硬い板に乗せられたようなフラット感はない。足のよく動く感じがドライバーに素直に伝わってくる。
ワインディングの楽しさは極上
走り出してしまえば、重いペダルも軽いフライホイールもシフト操作を楽しませる要素でしかなくなった。シフトストロークが短くなって、自動ブリッピングも上手だから、マニュアル変速がとてつもなく楽しい!
とはいうものの狭い峠道ではほとんど2速(120km/hくらいまで)固定で走ることになる。5000回転あたりから発せられるラウドだけれど決して野卑ではないサウンドに心が昂る。クルマ運転好きの心に響くメカニカルなノイズにコクピットが包まれる。6~7000回転あたりをキープしながら走っていても苦しくない。なんなら8000回転まで回しても気にならない。それでいて1000回転ちょいでもエンジンは機嫌よく働く。素晴らしく柔軟なエンジンだ。
最も楽しかったのはヘアピンのようなタイトベントをクリアする感覚だった。リアステアシステムを外し忘れた? と思うほど面白いようにノーズが内を向く。出口が見えた刹那、右足を踏み込めば力強く後輪が路面を蹴り出す。前輪も後輪も自分の思いのままに動いている。そんな911が楽しくないわけがない。
ワインディングロードの楽しさにおいて、近年稀に見るハイパワーモデル。それでいて街中ではけっこう快適で、高速道路では申し分のないツアラーだったから、突出したオールマイティさを誇る911の中でもさらに極上の“全方位マシン”であったといっていい。