「フォーリ・セリエ」なフィアットのスパイダー
1950−60年代のイタリアでは、フィアットやアルファ ロメオなどの自動車メーカーが独立系のカロッツェリア専用として、モノコックのフロアパンやエンジンなどのコンポーネンツ、あるいはローリングシャシーを供給。それを受けたカロッツェリアが、バラエティ豊富なボディを架装した準正式モデル「フォーリ・セリエ」が数多く制作されていた。
フィアット600なのに、スタイリッシュでちょっと豪華なスパイダー
2023年9月、RMサザビーズ欧州本社がサン・モリッツの5つ星ホテル「ケンピンスキー・グランドホテル・デ・バン」で開催した「St. Moritz 2023」オークションでは、「セイチェント」ことフィアット600をベースとし、往年の一流カロッツェリア「ヴィニャーレ」が手掛けた美しいスパイダーが出品。その一台をフォーリ・セリエの世界観を説明する代表例として、取り上げさせていただくことにしよう。
カロッツェリア・ヴィニャーレは、第二次世界大戦前からピニンファリーナの母体である「スタビリメンティ・ファリーナ」で修行したアルフレード・ヴィニャーレが、戦後の1948年に興したボディ工房。ヴィニャーレは、非常に優れた能力を持つボディ製作職人であり、同じくスタビリメンティ・ファリーナ出身であるスタイリスト、盟友ジョヴァンニ・ミケロッティとの名コラボによって、数多くの名作を上梓することになる。
ヴィニャーレは、まるで一心同体のような存在であるミケロッティの描いた、下描き程度のデザインスケッチを正確な設計図へと変身させた上で、アルミ板から見事なボディラインをたたき出すという卓越した技術を持っていた。
彼のコーチワーク技術はフェラーリやマセラティ、ランチアにも認められ、正式なカタログモデルとしても芸術性の高いクルマたちが数多く生み出されることになるのだが、1960年代に入って自社でデザインワークまで行える体制を確立すると、量産メーカーのデザインも主導するようになってゆく。日本の「ダイハツ コンパーノ(1963~70年)」は、ヴィニャーレの名声が遠く東洋まで轟いていたことを示す好例であろう。
そのかたわら主にフィアット量産モデルをベースとし、ヴィニャーレの工房でボディ/インテリアまで架装。フィアットの正規ディーラーでも購入可能な「フォーリ・セリエ」も複数が製作されたのだが、今回の「St. Moritz」オークションに出品された600ベースのスパイダーも、ヴィニャーレがスタイリングとボディを手がけた希少な一台である。
リアエンジン+後輪駆動レイアウトとともに、1955年にデビューしたフィアット600は、当時のイタリアにおいては国民車的な小型大衆車だった。その水冷直列4気筒OHVエンジンは当初633ccでスタートするも、1960年には767ccにスケールアップした「600D」へと進化を遂げる。
いっぽうヴィニャーレでは、600の発売直後から「ランデヴー(Rendezvous)」と名づけられた600ベースのクーペを少量製作していたものの、新生600Dの登場に伴ってリニューアルを図る。こうして誕生した新「フォーリ・セリエ」では、ランデヴーの後継にあたるクローズドのクーペにくわえて、スタイリッシュなスパイダーも用意された。
さらに、ドイツでフィアットのノックダウン生産を行っていた「フィアット・ネッカー(旧NSUフィアット)」では、フィアット600Dのドイツ版「ヤクスト770」のスポーツモデルとして、ほぼ同じヴィニャーレ製ボディを持つ「リヴィエラ/リヴィエラ・スパイダー」も生産・販売されることになった。