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フィアット「600」が447万円!? 実はミケロッティがデザインした「ベルリネッタ モンテローザ」という激レアアイテムでした

2万7600スイスフラン(邦貨換算約447万1200円)で落札されたフィアット「600ベルリネッタ モンテローゼ」(C)Courtesy of RM Sotheby's

独自のデザインを纏った艶やかなクルマ

貴重な書籍や絵画など美術品の分野から始まった「オークション」。世界にはそんなオークションを主催する専門の会社(=オークショニア)がいくつも存在するが、中でも有名なのが世界最古のオークショニアとして知られるサザビーズで、その創業は1744年にまで遡る。同社は2015年にクラシックカーのオークショニアとして有名なRMオークションを子会社とし、現在は「RMサザビーズ」の名で古今東西のヒストリックカーのオークションを数多く開催している。今回ご紹介するのも、そんなRMサザビーズのオークションに出展された希少な1台だ。

フィアット600ベースのスペシャリティモデル

2023年9月15日、有名リゾート地として知られるスイスのサンモリッツで開催されたRMサザビーズのオークションに出展されたのは、フィアット600ベルリネッタ・モンテローザという日本では馴染みの薄いクルマだ。この「モンテローザ」とは、トリノに本拠があったカロッツェリアの名。

イタリアのカロッツェリアに限らず、欧州には馬車の時代からの長い伝統を誇るボディ製造工房も多いが、このカロッツェリア・モンテローザの創立は第二次世界大戦後の1946年と比較的新しく、創業者のジョルジョ・サルジョッティが手掛けた仕事はもちろん馬車ではなく自動車のボディ作りである。

1948年、同社が初めて発表したのがフィアット1100BLをベースにボディ後半を独自改修した「ジャルディニエラ」、いわゆるステーションワゴンである。ちなみにフィアット1100シリーズは1948年にデビューした同社のセダンで、1100BLは長いボディの6/7座仕様。当時タクシーなどにも多用された実用車である。

この時代、セダンから派生したワゴンボディというと、まだ木製フレームを使って仕立てられたものも多かったが、モンテローザ製ワゴンは鋼板ボディであることが特徴だった。

イタリアのカロッツェリアと聞くと、王侯貴族のオーダーに応じて高級車の特注ボディを手掛けたり、少量生産の高性能スポーツカーのデザインを請け負ったりという華やかなイメージが強いが、戦後間も無い混乱期のイタリアで生まれたカロッツェリア・モンテローザは必ずしもそうではなかったようだ。

フィアット1100BLジャルディニエラをリリースした後も、歴代フィアットのベルリーナ(=セダン)をベースにした実用的なジャルディニエラが同社の主力製品。いずれもベースとなったモデルよりはカラーリングや意匠で華やかなイメージを演出していたものの、高級車やレーシングカーとはほとんど縁がなく、基本的には「小ロットで実用的なモデルを手掛ける特装車メーカー」といった印象だ。

そんな質実な印象の強いカロッツェリア・モンテローザだったが、やはりカロッツェリアを名乗る以上、独自のデザインを纏った艶やかなクルマを作りたいと思うのは当然だったろう。同社は1956年から1959年にかけて、フィアット600をベースにオリジナル・デザインの流麗な(というよりはむしろ可愛らしい)スペシャリティ・モデルをリリースしている。

ミケロッティが手がけたボディ

それが今回のRMサザビーズのオークションに出展された、このフィアット600ベルリネッタ・モンテローザというわけだ。リアエンジンの大衆車である600をベースにしたこのシリーズは、1956-1957年にかけて製作された丸みを帯びた前期型の「ベルリネッタ」と、1958-1959年に製造された直線基調の後期型「グランルーチェ」に分けられるが、今回出展されたのは1958年のグランルーチェの方である。ベルリネッタ、グランルーチェ共にデザインを担当したのはかのジョヴァンニ・ミケロッティで、ちいさなフィアット600をベースにしながら精一杯の「スペシャル感」を演出している。

スイス在住の自動車コレクター、ダニエル・イゼリ氏のコレクションから放出された素晴らしいコンディションのフィアット600ベルリネッタ・モンテローザは、果たして2万7600スイスフラン(邦貨換算約447万1000円)で落札され、次のオーナーの手に渡った。

戦後間もない1946年に生まれ、戦後復興が軌道に乗り始めた1961年には歴史の舞台から静かに消えていったカロッツェリア・モンテローザ。それは戦後の混乱期を経て大メーカー自らが、自社製品に数多くのバリエーションを展開できるようになっていった1950年代後半までのわずかな期間に花開いた、もうひとつの”イタリアのカロッツェリア”の物語。そんな時代を現在に伝える縁(よすが)がこの小さなクーペなのだ。

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