景色に埋没することのない存在感
東京ではセレブ学生が、ゴルフやBMWを転がしているって噂は耳にしていた。ピットイン青山とかいうお洒落なパーツショップがあり、そこでエンブレムやステッカーを買ってモディファイするのが流行っているらしく、ゴルフGTIやBMW320iにオリジナリティを盛り込んでいく。赤いゴルフGTI、濃紺のBMW320i。憧れのキャンパスライフの象徴である。だが、そんな期待の中に僕らの目に颯爽と飛び込んできた124スパイダーは、ワンランク上の優雅さをたたえていたのだ。
前後にスーッと長く伸びたボディは、それでもまったく間伸びせずに均整のとれたシルエットだった。どうだと言わんばかりの押し出しはなく、どこか控えめであり、それでいて景色に埋没することのない存在感をたたえていた。
そのデザインはピニンファリーナの筆によるものだった。ベルトーネ、ミケロッティ、ジウジアーロ、その中でもピニンファリーナの持つ響きは突出していた。その名がまた、田舎者の貧乏高校生の感性をズキュンと射抜いたのである。
124スパイダーからの呪縛から逃られない
べースはあった。ハワイ在住のモデル「アグネス・ラム」は男子高校生のセックスシンボルとして一世を風靡していた。週刊プレイーボーイや平凡パンチの表紙を飾ることのない月はないほど彼女は男子高校生を刺激した。その彼女がワイキキで転がすマイカーがフォルクスワーゲン「カルマンギア」だった。今で言う「ラム推し」の僕は特に、あの手のコンパクトオープンカーに魅せられていたのだ。同様にアルファ ロメオ「スパイダー」にも興味が注がれていたのだ。
だが、そこに現れた124スパイダーは、そこはかとない遠慮があり、それが落ち着きの源であり、楚々とした雰囲気の源流だった。田舎者の僕らのいやらしい熱い視線をいなすような上品さにやられてしまったのである。
あの時の、刺激は今でも忘れられない。確か帰りの道で僕らはほとんど無言だったように記憶している。124スパイダーにやられてしまったあの瞬間は、僕らの淡い青春の小さな傷跡なのだ。
ようやく口を開くことができたのは、環状8号線を超えて多摩地区に足を踏み入れてからである。あの時の124スパイダーのオーラは、今でも環状8号線を超え、時空を超え、今でも僕に寄り添っているような気がするのだ。いつまでも124スパイダーからの呪縛から逃れられないような気がする。これが憧れというものなのだろう。