逸話だらけのコンストラクター
自動車メディアに長く携わっている業界関係者に、心に残っているクルマとの思い出を語ってもらいました。今回は、自動車ライター・南陽一浩さんのフィアット・アバルト「750レコードカー」にまつわるストーリーをお送りします。
毒気以上にカリスマ性すら感じられた
実際に乗ったかステアリングを握った市販車の印象だと1台に絞りにくいものだが、フィアット&アバルトに関しては強烈に記憶に残る1台がある。コロナ禍以前のジュネーブ・サロンでアバルト生誕70周年を機に展示されていた、1956年のフィアット・アバルト750レコードカー、ベルトーネ時代のスカリオーネによるボディワークの1台である。
自動車メーカーの格は、国際的な場でそれなりにイコールコンディションや透明性の担保された枠組みの中で、いかに実力を証明してきたか、によると思う。今年100周年を迎えたル・マン24時間が毎年、現時点でのコンストラクター間の相対評価を競う場とすれば、地上速度記録(LSR)は絶対値を競うチャレンジといえる。とくに後者は19世紀からFIAの母体となるACF(フランス自動車クラブ)の専任事項で、1925年にFIAの前身であるAIACRが定めたLSR規則にはレーシングカーとスポーツカー、ツーリングカーというカテゴリー分けがあった。
絶対的最高速度の追求はタービンやロケットカーに受け継がれたが、後2者の流れを汲む方は、一定の時間内や到達距離における絶対値としての平均速度を、耐久性や信頼性と併せて証明する物差しになった。いわゆる「世界速度記録」と呼ばれるものだ。
戦後の大衆車の普及、どれだけ速く遠くに行けるかの夢がぐっと身近になった時代が訪れるやいなや、カルロ・アバルトはFIAの世界速度記録に定められた500~750ccのクラスHで名乗りを挙げた。1956年4月のトリノ・ショーでお披露目された750レコードカー(注・シルバーの方)は、アバルト750デリヴァツィオーネの市販車エンジン、747cc水冷直列4気筒OHVを縦置きリア・ミドシップとし、41.5psから44psへとチューンされていた。
モノポストの風防こそ立ち気味だが、長く伸ばされたノーズからリアエンドまでのシルエットは水滴型のストリームラインというよりウェッジシェイプに近く、ボディ下面までほぼフラットに包まれていた。筆者は実車を初めて目の前にした時、ベルトーネのボディワークの先進性にすっかり目を奪われたものだ。背景のサソリのロゴの、毒気以上にカリスマ性すら感じられた。