免許取り立ての頃の情熱を蘇らせた憧れの篠塚仕様
クルマ好きならば誰だって、自分がなぜそのクルマを好きになったのか、購入したのか。その明確な理由が存在するはず。この三菱「ランサー1600GSR」のオーナーである“牧野浩一”さんは、免許取得前の学生の頃に楽しんでいたカタログ集めの時に、あるディーラーで目撃した世界ラリー選手権の映像に衝撃を受けたことがきっかけだった。牧野さんの若かりし頃の勢いとブランクを開けての復活劇を、ここにご紹介しよう。
父親に強制された格安サニーが、人生初の愛車に
2023年10月15日に福岡県北九州市門司区で開催された「門司港レトロカーミーティング2023」に、1台のラリー仕様の車両が展示されていた。こういったイベントでは、比較的ノーマルの外観を保った車両が並んでいることが多い。そのため、この三菱「ランサー1600GSR」が会場内で圧倒的に目立っていたのは言うまでもない。
オーナーの牧野浩一さんは、学生時代に各ディーラーを巡ってはカタログ集めに勤しんでいた。その時にたまたま流れていた世界ラリー選手権の映像が、その後に始まるクルマ生活の大きな分岐点だった。車両は三菱「ランサー1600GSR」。ドライバーは、その後パリ・ダカールラリーで日本人として初の総合優勝に輝いた篠塚健次郎さん。当時まだ珍しかった日本人の海外ラリー参戦で、しかも上位入賞。まだ学生だった牧野さんが憧れを抱くには、充分過ぎる映像内容だったのだ。
しかし、人生とは思い通りにいかないのが常。18歳で免許取得後に待っていたのは、「父親が手に入れてきた格安サニーの2ドア車」で、それを強制的に乗らされていたそう。買ってもらったとはいえ、「泣きそうだった」という悔しさをバネに、そのサニーをラリー車のようにドレスアップして楽しんでいたのだった。
新車契約時にレプリカカラー全塗装も発注
しかし、その反動は大きかった。すでに就職していた牧野さんは、車検が切れるまでの約1年間をサニーで我慢。その後に、人生1台目の三菱「ランサー1600GSR」を、新車で入手したのだ。
「充分な予算は無いのでローンを組んだのです。当時は未成年なので親の元へ確認の電話があり、そこで僕がランサーを買ったことはもちろんバレました。買い替えに関してはそれほど問題なかったのですが、その後の納車でひと騒ぎあったのです」
ディーラーから引き取り、意気揚々と念願の「ランサー1600GSR」で自宅へと戻った牧野さん。しかし、息子の愛車の姿を見た父親は表情が一変し大激怒。なぜならば、新車で納車されたはずの車両は、ボンネットとトランクが真っ黒に。そして、ボディサイドには派手なレーシングラインが入れられていたからだった。
「私にとっては、ランサーと言えばあの映像で見た車両だったんです。なので、サザンクロスラリーに参戦していたレースカーと同じように、あのデザインに塗り換えてほしいと。オーダー時点ですでに、レプリカカラーにするための全塗装の注文もしていたのです(笑)」
これこそが若気の至り?! いや、若さゆえの猪突猛進は、クルマ道を突き進めた人ならば誰もが理解するだろう。この勢いこそが大切なのだ。ちなみに、あの時父親から出た言葉は、「もう一度お金を払って、白に乗り直してもらえ(怒)!!」だったそう。それは当然である。
いつも同じ夢に悩まされる。手放した後悔とそこからのリスタート
しかし、そんな思い入れが強い「ランサー1600GSR」との生活はそんなに長くはなかった。結婚に合わせて愛車を手放す。そんなエピソードも、クルマ好きの多くが経験する当たり前の出来事だ。牧野さんが興味深いのは、その次の段階である。手元にない愛車の夢を見るのだそうだ。しかも、1度ではなく何度も。そして、内容はいつも同じ。
「コーナーがいくつも続く道を走っているんです。気持ち良く駆け抜けているんだけど、あるコーナーでギア比が合わなくなる。2速では引っ張り過ぎ。でも3速に入れると回転が低すぎる。あの時代のライバル車、トヨタのTE27カローラなども一緒に走っていて、彼らは2速で引っ張ったままそのコーナーを走り抜けていく。でも私は、いつもそこで気持ちよく走ることができない。このもどかしい内容を、不思議と何度も夢で見たんですよねぇ」
牧野さんが現在の愛車を手に入れたのは、それがきっかけだったのだ。「これだけ同じ夢を見るのなら、もう乗るしかない!」そう決断し、同車種好きの仲間でクラブを作ろうという掲示板を雑誌で見つけて、それに参加。探し始めて約3年が経過したところで、縁がありこの車両に辿り着いた。「外装などはボロボロで、一応車検は通りますよ、というレベル」だったそうだが、それを了承。しかも、ラッキーだったのは、当時ご自分が活用していたパーツの一部も、まだ所有していたことだった。
「同じ車両に乗るかどうかなんて全く分からなかったのに、いくつかのパーツを手放さずにまだ持っていたんです。中に付けている計器類やトリップメーターなどの専用機器、コドライバー用のライトやペンホルダーなど、当時ちょっとだけラリーを楽しんでいた時のパーツなどが残っていたのがラッキーでした」
尊敬する篠塚健次郎氏にも見てもらった、本気の愛情表現
車両入手は1993〜1994年頃とのことで、そこからすでに30年近くもの時間が過ぎた。当初はボロボロの車両を修理しながら通勤にも活用するなど、まだノーマルに近い状態。その後、この「ランサー1600GSR」は普段使いではなくイベント用として楽しむことが多くなったことで、2010年頃にこの仕様へと一気に変貌させた。
「苦労したのはこの当時のグラフィックを再現することですね。資料を調べていくと、当時参戦したレースによって微妙に仕様が異なることが判明。いろいろ考えた結果、1975年のサザンクロスラリー仕様がいいなと思いまして。グラフィックは、フジミ模型のステッカーをベースにしています。このランサー1600GSRが模型化されていて私はその復刻版を手に入れていたのです。それが1/20スケールだったので、20倍にリサイズすれば使えるかなと(笑)。若い頃は全塗装でしたが、今回はカッティングシートで再現しています」
取材後に調べてみたが、間違いなく該当品のプラモデルが世に出回っていたことを確認した。フジミ模型より「1/20 三菱イエローランサー1600GSR 1975年度サザンクロスラリー出場者 篠塚ランサー 新デカールバージョン保存版」と明記された、ダートを巻き上げて疾走するイラストが描かれた商品であった。
しかも牧野さんは、敬愛するラリードライバーで牧野さんにとっては雲の上の存在という篠塚健次郎さんの元を、仲間と共にイベントを開催して訪れている。若かりし頃の破天荒な行動も、趣味に時間を割けるようになった今でも、好きなことに対しての牧野さんの熱量は何ひとつ変わらないままなのだ。