1957年式 トライアンフ TR3
「クラシックカーって実際に運転してみると、どうなの……?」という疑問にお答えするべくスタートした、クラシック/ヤングタイマーのクルマを対象とするテストドライブ企画「旧車ソムリエ」。今回セレクトしたクルマは、かつてブリティッシュ・ライトウェイトスポーツカー代表選手の座をMGと争ったトライアンフ。わが国の英国車愛好家の間では「トラサン」なる愛称で呼ばれている「TR3」を、秋の軽井沢にて存分に走らせてみた。
50年代ブリティッシュ・ライトウェイト「西の横綱」
トライアンフTR3は、MGと並ぶブリティッシュ・ライトウェイトスポーツの雄として世界的な人気を誇る「TR(トライアンフ・ロードスター)」の第2世代にあたる。また、ヴィンテージ期に端を発するイギリス製スポーツカーの伝統たる、上部を深くカットアウトした左右ドアを持つモデル、英国式にいうところの「サイドスクリーンTR」第2世代でもある。
サイドスクリーンTRは、2シーターのオープンスポーツを渇望する当時の北米市場のリクエストに応えたモデルだった。まずは1950年に社内のスタイリスト、ウォルター・ベルグローヴのデザインによる未来的ボディを持つコンセプトカー「TRX」が試作されたものの、このプロジェクトはあまりに重くてスポーツ性に欠けるとの判断によりキャンセル。その2年後となる1952年には、より現実的なプロトタイプ「TR」が発表された。
現在ではさかのぼって「TR1」と呼ばれるこの試作車は、当時の写真を見ると前半部はのちのTR2とほぼ同一のスタイリング。ただしリアエンドは露出したスペアタイアを取り込むような、古典的なラウンドテール型とされていた。
ところが、一説によると「ジャガーXK120に似ている」という手厳しい評価を受けたことから、ベルグローヴはテールを延長するとともに、ラゲッジスペースも稼げる角ばった意匠へと再デザイン。それが1953年に「トライアンフTR2」として正式発売されるに至った。
こうしてトライアンフ・ロードスター初の市販車として登場したTR2は、最大の仕向け地であるアメリカおよび母国のイギリスでも一定の人気を得た。ところが、クーリング不足が指摘されたラジエーターグリル(日本では「おちょぼ口」と愛称される)の改善をはじめ、パワーアップなども求める市場のリクエストに応えるかたちで、発売2年後にあたる1955年、マイナーチェンジを施した後継車「TR3」がデビューすることになる。
ここに至るいずれのトライアンフ・ロードスターも、搭載されるエンジンは当時トライアンフの親会社だったスタンダード社の中型サルーン「ヴァンガード」用から発展した水冷直列4気筒OHV 1991cc。TR3では前任モデルTR2から4psアップの95psとされた。
そして、この時代のライトウェイトスポーツカーとしては若干重め、900kgを大きく超えるウェイトを持ちながらも、0-400m加速は18秒前後と、当時の2L級スポーツとしてはなかなかの快速ぶりを示した。
いっぽう、剛性の低いラダー式フレームに固く締め上げられた前:独立/後:固定式サスペンションの組み合わせは、旧き佳き英国製スポーツカーの典型的なもの。旧式なステアリングギヤボックスも相まって、その乗り味はあくまでワイルドなものと評された。
それはラジエーターグリルをさらに拡幅し、2138ccエンジンも選択可能となった改良版「TR3A」となっても変わることはなかったのだが、それでもTR3/3Aを合わせて7万5000台近くが生産される大ヒット作となったのである。
ホンダのレジェンドたちが愛したTR3は、人の心を癒やしてくれる
今回ご紹介する1957年式トライアンフTR3は、かつて本田技研にデザイナーとして在籍し、今やバイクファンの間では伝説と化している「CB400F」や「CBX400F」、スクーターの人気を復活させた「タクト」、さらには現代のビッグスクーターの元祖ともいえる「フュージョン」などをデザインされた故・佐藤充弥さんが、晩年に愛用していた個体とのこと。
しかも佐藤さんの前のオーナーは、第1期ホンダF1をエンジン開発者として主導したのち、1980〜90年代の第2期には社長としてF1参戦を支えた川本信彦さんだったという。つまり、往年のホンダのレジェンド的エンジニアたちに愛用された、この上なく由緒正しいTR3なのだ。
現オーナーの才門勇介さんは、佐藤さんが2015年に逝去されたのち、ご遺族および佐藤さんがTR3とともに過ごした長野県某所のクルマ仲間たちからも引き受けを要請されていたという。しかし、この個体が紡いできた歴史を受け継ぐ重圧から悩みぬいたのち、ようやく3年後に入手を決意するに至ったとのことである。
才門さんとは長年の友人である筆者も、じつは彼がTR3を引き受けることについて「背中を押した」ひとり。それゆえ、この個体のステアリングを握る機会はこれまで幾度となくあったのだが、そのたびに乗りやすさに感心させられてしまう。
でも、この乗りやすさには理由がある。「毎日アシとして乗りたい」という前オーナーの佐藤さんの意向で、トランスミッションは1速がノンシンクロのスタンダード製4速MTから20世紀末の英フォード社製、ケータハムなどにも使用されてきた5速フルシンクロMTに換装してあり、オリジナルよりも格段にスムーズで、しかも確実なシフトフィールを体感させてくれる。
また、やたらと操舵が重いうえに正確性にも劣るウォーム&ローラー式のステアリングギヤボックスも、より近代的なラック&ピニオン式に換えられていることからハンドル操作はとてもラクで、コーナーでも狙ったラインに前輪をつけることができる。
とはいえ、持ち前のワイルドな乗り味をもたらしているシャシーは不変ということで、乗り心地はかなりハード。緩いシャシー/ボディは、不整地ではギシギシと音を立てるほか、1950年代においても旧式になりつつあったリーフリジッドのリアサスペンションは、荒れた路面でカーブを回りながらスロットルを開けてしまうと容赦なく横に飛んでしまうことから、筆者ごときのドライビングスキルでは思いっきりスロットルを踏み込むことに躊躇してしまう。
でも、今どきのスポーツカーであれば弱点として指摘されるべきこれらの古臭い特質が、なぜか「トラサン」では楽しくて仕方がない。
2基のSUキャブレターを組み合わせたロングストローク型の4気筒OHVは、当然ながら高回転までスカーンと気持ちよく回るタイプではない。また、パワー感もほどほどのレベルに留まるが、その代わりに低中速域から豊かなトルクを発生し、アップダウン強めのワインディングロードでも力強い走りを見せてくれる。
くわえて「ヴォロロロロッ」という、ちょっと劇画チックな4気筒サウンドや、スロットル操作を素直に反映するレスポンス。そして「コクコク」と決まるシフトフィールに至るすべてが心地よい。だからサイドスクリーンを外し、左肘をドア上縁に乗せて、秋の風を全身で浴びながらのドライブは、ある意味ヒーリング的な行為ともいえるのだ。
武骨で古臭いと思っていたキャラクターが、じつは乗り手の心を癒してくれるもの。正統派・優等生のMGに対して、ちょっとアウトローなキャラもあるといわれてきたトライアンフながら、この時代の英国製スポーツカー特有の温かみは、間違いなく共有していることが実感できたのである。
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