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イタリアのパトカーにアルファ ロメオ「トナーレ」が就任! 歴代アルファの警察車両を振り返ろう

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: stellantis/武田公実

1950年代(1900、1900M、ジュリエッタ)

車体側面に豹のシンボルマークが描かれるようになったのは1960年代初頭のことだが、「パンテーラ」の名は1952年に1900TI(トゥーリズモ・インテルナツィオナーレ)が配備された当初より、黒いボディカラーや優れたスピードなどのイメージから、自然発生的に呼ばれるようになっていたという。

元祖パンテーラは、改良型1900TIスーペルと合わせて約400台が発注された。特にTIスーペル時代は1975ccまでスープアップされたエンジンを搭載。当時の2L級セダンとしては世界最速に相当する、180km/hに近い最高速度をマークした。

エンジンなどの機関系は特別なものではなかったが、内外装には交通機動隊の使命に向けて、いくつかの改良が施されていた。まずは装甲がエンジンと室内を保護し、2分割された防弾フロントガラスも装備。前輪は2枚の金属製チェーンカーテンで保護され、フォグライトと照射方向を変えられるヘッドライトも追加された。

また、乗員が立った状態で撮影できるようにスライディングルーフも装備されたほか、パトロール隊がコントロールセンターと連絡を取り合うための無線システムも装備された。

1900TIパンテーラはボディカラーや仕様に更新を受けつつ、1964年まで就役。退役後も、一部の車両はサービスカーとして使用され続けた。

その後、警察はアルファ ロメオが生産するほぼすべての車両を使用するようになる。1950年代には、機動部隊の赤いカラーリングで有名な「1900 Mマッタ」のほか、ジュリエッタやジュリエッタTIが、やはりその性能の高さから数多く採用された。

1960年代(2600スプリント、ジュリア)

1960年代を迎えると、グレーがかったグリーンのカラーリングをまとった2600スプリントが登場。映画にもなった伝説のパトカー、フェラーリ250GTE 2+2を除けば、当時の警察車両のなかで最速だった2600スプリントのグリーンはインパクト絶大だったようで、そののち「パンテーラ」の制式カラーとなる。

そして、多くのイタリア人が今なおもっとも愛するのが、B級映画からはじまり映画界に本格的なトレンドをもたらした初代ジュリアのパンテーラ仕様車。おもに主人公側(もちろん警察に追われるアウトロー)のクルマと街中でバトルを演じ、多くの場合は「斬られ役」となってしまいながらも、当時の欧州映画界では間違いなくスターであった。

ジュリア・パンテーラの第一号車は1963年にトリノで運用開始されたが、それ以前の数カ月間に内務省が試験的に数台購入。のちにジュリア・スーパーへと続く長いシリーズの最初のモデルとなった。

また1300/1300 TIや1300スーペル、さらに非常に希少なレーシングモデル「TIスーペル」も、パンテーラとして配備された事例があるという。

市販型ジュリアからの主な変更はフロントマスク。TIスーペルと同様に、内側2灯のヘッドライトは、サイレンを隠すためのシンプルなメッシュに置き換えられ、さらに点滅灯と無線アンテナも隠された。また警察側のリクエストによっては、照射方向を変えられるアダプタブルヘッドライトも装備された。くわえて、バッテリーは特定の装備とともにトランクに移され、ブラウンのファブリックを用いた内装には警察無線が装備された。

さまざまなバージョンやアップデートが施されたジュリアのパンテーラは、1980年代初頭まで活躍。くわえて、ステーションワゴンに改装された「ジュリア・コンビナータ」は、その実用性から「ポリツィア・ストラダーレ(交通警察)」でも重宝された。

1970年代(アルフェッタ、アルファスッド、ヌォーヴァ・ジュリエッタ)

1970年代には、ジュリアの後継にあたるアルフェッタのパンテーラが登場する。アルフェッタは、ほぼすべてのモデルが導入されたが、多くは1.8Lエンジンを搭載していた。また1977年に発表された 「ヌォーヴァ・ジュリエッタ」も、その前年にブルー&ホワイトへと変更された警察指定のカラーへと染められることになる。

ジュリエッタ・パンテーラの多くは1.6Lだったそうだが、アルフェッタよりもパワーが低くとも俊敏性に優れたジュリエッタは市街地の運用に適しているという理由で、とくに地方のポリツィア・ストラダーレが好んで採用したという。

よりパワフルなアルフェッタやジュリエッタと並んで、アルファ ロメオ初の前輪駆動車であり、コンパクトカーの系譜の先駆けとなった小型車「アルファスッド」もまた、警察にとって主要な役割を果たすことになる。

1971年のデビュー翌年、ボクサー4気筒1.2Lエンジンを搭載した最初の車両が運行を開始。しかし、スッドが本格的にパンテーラとなったのは、1.3Lおよび1.5Lエンジンを搭載した「セコンダセリエ(第2シリーズ)」以降だったとのことである。

1980年代と1990年代(33、75、155

1980年代のパンテーラでは、アルファスッドが33へと切り替えられたほか、ヌォーヴァ・ジュリエッタはその進化形であるアルファ75に取って代わられ、さらに90年代には1.8Lエンジンを搭載した155がパンテーラとして配備された。

また、この時期にはアルファスッド1300グループNのアルファ33と75、さらにはDTM選手権の155V6 TIを、青と白のカラーリングに「POLIZIA」ロゴで仕立て、ツーリングカーカテゴリーのサーキットレースにも参加していたのも、特筆すべきエピソードだろう。

2000年代(156、159、ジュリエッタ、新型ジュリア)

20世紀から21世紀に代わるころ、名車156はベルリーナ(セダン)とスポーツワゴンの両方がポリツィア・ストラダーレで使用され、のちにJTDディーゼルエンジンも搭載されることになる。後継車にあたる159もガソリンエンジンとディーゼルエンジンの双方が、さらに「Q4」モデルもパンテーラとして供用された。

この時代になると、ヨーロッパの都市にはテロの危機が忍び寄りつつあったことから、パンテーラたちの一部は乗員を守るために再び装甲が施された。

さらに2009年に本国デビューした三代目ジュリア、そして2015年に登場した現行型ジュリアもパンテーラとして採用され、現在でも現役で活躍している。

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  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
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