今後はアルピーヌ・ブランドとEVの新展開に期待
袖ヶ浦フォレストレースウェイで朝一番のプログラムは、メリメ氏とウルゴン氏への囲み取材による質疑応答だった。1970年代後半からアルピーヌやゴルディーニの手を借り、「5(サンク)」のターボ化やスポーツシャシーを仕立て始めた頃からルノーによるホットハッチは始まった。ルノー・スポールの市販車ブランド化を方向づけたのはクリオ・ウィリアムズだっただろう。以降、ルーテシア2やメガーヌ2から始まった「R.S.」は、それまでのハイエンドだったスポーツモデルと一線を画し、身近だが走りの本格的なホットハッチとして確立された。そうした前提を踏まえて、メリメ氏はこう述べた。
「メガーヌR.S.に4輪操舵を組み込むという判断が、ライバルの競合車種を突き放す決定的な進化、FFのスポーツモデルとして究極の進化を遂げられたと思う」
一方のウルゴン氏は、ニュルでのタイムアタックをふり返り、ホンダ「シビック タイプR」の完成度を賞賛しつつも、伍するために軽量化の一環として4コントロールを外す選択をしたことを回想した。このエピソードは、乗り手のスキル、つまりドライバーの腕次第でさらに速くなるメガーヌR.S.というクルマの一面を表していると思う。いずれにせよ、
「FFのスポーティなモデルにとって、ニュル北コースのラップタイムに挑むことがひとつの指標となる流れを作れた気がする」
と、達成感にも似た自負をウルゴン氏は覗かせた。
5人乗りのハッチバックを基本とするルノー・スポールのオーナーにとって、今後の受け皿となるクルマが、まだ2シーターのアルピーヌ「A110」しかない点が心配だが、EV化への開発も順調という。すでに今年初めに北海道は日産の陸別テストコースでも開発中のEVを走らせ、来年早々にはフィンランドのラップランド地方でもまたテストを重ねるという。アルピーヌがハッチバックやSUV、サルーンのコンセプトも見せている今、次世代ベルリネットを皮切りに、何かが始まるはずなのだ。
世界限定1976台のメガーヌR.S.ウルティムがラストチャンス
濃密な質疑応答の後、イベントのプログラムは和やかに進行した。メディア対抗のパイロンスラローム、次いでフルコースでのタイムアタックは、腕に覚えある編集者&ジャーナリストたちが来場者たちの前で、けっこうムキになって競い合った。
走行会形式のイベントとあって、コース走行枠はサーキット経験の申告によって分けられていた。今やちょっと懐かしいルーテシア3のR.S.や「メガーヌR26.R」、あるいは「トゥインゴ ゴルディーニ」なども入り乱れ、タイム計測もあってマイペースとはいえ各自かなり楽しんでいた模様。それでも派手なコースアウトなどでタイムスケジュールが乱されることがないところが、ルノー・スポール・オーナーのサーキット・マナーの良さといえた。
一方のパドックでは、まだオーナーでない人も楽しめるよう、ステージでのトークショーやドライビング・シミュレーターといった催しも充実。ランチ出店が充実していたところもフランス車のイベントならでは。アルピーヌやルノー・スポールのエンスージャストとして知られる、ハンガー・エイトの藤井照久氏は、ルノー・エスタフェのキッチンカーでジビエ・スープを提供するなど、多芸かつ本格派の一面を料理でも見せていた。
師走の近い11月末、無情にも日中の明るい時間帯は短い。コース上最後のプログラムは、オール・ルノーの参加車によるパレードランだ。出発に先立って、3列縦隊の先頭でメリメ氏とウルゴン氏がルノー・スポールのロゴ幕を手に記念撮影が行われたのだが、撮影の前後の2人の、名残り惜しそうな仕草と表情が印象に残った。何せ、自ら手塩にかけた車が、技術とハートを詰め込んだシリーズが、極東の島国でも終幕を迎えようとしているところなのだ。
しばらくは「R.S.ライン」など、既存の市販車のスポーティトリムなどにルノー・スポールの名称は残るが、世界限定1976台(ルノー・スポールの創業年にちなむ)のメガーヌR.S.ウルティムはそれこそ、ラストにして究極のホットハッチとなるのだろう。ただ、メリメ氏&ウルゴン氏によるスポーティ仕立てなクルマは、これで終わりどころか、数年後にアルピーヌの名の下に数車種が出てくる。A110のEV版は、先鋒としてその方向性を占う1台となるはず。おぼろげな未来図が、確信に変わったイベントでもあった。