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「テスタロッサ」の後継「512TR」が5億円! 世界に3台しか存在しないフェラーリ公認「512TRスパイダーでした」

「テスタロッサ」の後継「512TR」が5億円! 世界に3台しか存在しないフェラーリ公認「512TRスパイダーでした」

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: 2023 Courtesy of RM Sotheby's

スパイダーはなんと5億円オーバー! でも、そこには納得の理由が・・・・・・

このほど開催されたRMサザビーズ「LONDON」オークションには、2台のフェラーリ512TRにくわえて、ピニンファリーナによって特別に製作された512TRスパイダーが、「The Factory Fresh Collection」から出品された。

2台の512TRベルリネッタは、ともに88台のみが生産されたといわれる右ハンドル英国仕様車で、「ブル・セーラ・メタリッツァート(ナイトブルー・メタリック)」の512TRは、オークションの公式カタログ作成時点で5万4000kmを超える、この種のスーパーカーとしては走行距離が出ている個体。もう1台、「ロッソ・コルサ」の512TRは、まだ3900マイル(約6200km)しか走っていない個体とのことだった。

そして、今回の目玉のひとつともいうべき「ブル・コバルト(コバルトブルー)」の512TRスパイダーは、「The Factory Fresh Collection」主宰のアルフレッド・タン氏自身の主導により、フェラーリ公認のもと3台のみが製作された512TRスパイダーの1台とのこと。

アルフレッド・タン氏はフェラーリの正規代理店の社主として、あるいは熱心なフェラーリ愛好家として、フェラーリおよびピニンファリーナとは太いコネクションを持つかたわら、ブルネイ王家とも密接な関わりがあり、これまで王家が特注したスペシャル・フェラーリの多くに関与。1990年には、テスタロッサのスパイダープロジェクトの立ち上げと運営にも携わっていた。

そして1993年、フェラーリは3台の512TRスパイダーを製作し、1台はフランスに、2台はアルフレッド・タン氏に引き渡し、そのうちの1台、ブル・コバルトの塗装を施されてラインオフした唯一の512TRスパイダーであるシャシーナンバー#97310は、そののち30年にわたってタン氏の手元に残された。

ところが、フェラーリ512TRスパイダーの引き渡しを受けたタン氏は、この#97310にほとんど乗ることなく、つねにホンセ・モーターズのショールーム内かドライストレージに保管。その結果、今回のオークションカタログ作成時にオドメーターが示していた走行距離は、わずか570kmにすぎなかったというのだ。

明暗を分けた3台

こうして迎えた11月4日の競売。512TRベルリネッタのうち、赤い個体は26万ポンド~32万ポンドのエスティメート(推定落札価格)を設定したものの、同日の競売では流札に終わり、現時点では28万ポンド、日本円にして約5140万円で継続販売とされている。

いっぽうブルー・セラの個体は、22万5000ポンド~27万5000ポンドのエスティメートが設定されていたのだが、マイレージがかなり伸びているこちらは最低落札価格を設定しない競売方式を採ったことが影響し、エスティメート下限を大幅に割り込む13万8000ポンド、日本円に換算すれば2530万円で落札されることになった。

このように、ベルリネッタ2台が出展者側にとっては不本意な結果に終わったのに対して、512TRスパイダーは、もとより強気な210万ポンド~270万ポンドというエスティメートをさらに上回る280万ポンド。つまり日本円に換算すれば、5億1400万円という驚異的な価格でハンマーが落とされた。

これはたしかに驚くべき価格であるのは間違いないのだが、フェラーリとピニンファリーナの公認で製作された3台のうちの1台であるうえに、ブルネイ王家の個体が今後マーケットに売りに出される可能性は限りなく低いことを勘案すれば、やはり納得すべきプライスであるというのが、世界的な論調となっているようだ。

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  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 武田公実(TAKEDA Hiromi)
  • 1967年生まれ。かつてロールス・ロイス/ベントレー、フェラーリの日本総代理店だったコーンズ&カンパニー・リミテッド(現コーンズ・モーターズ)で営業・広報を務めたのちイタリアに渡る。帰国後は旧ブガッティ社日本事務所、都内のクラシックカー専門店などでの勤務を経て、2001年以降は自動車ライターおよび翻訳者として活動中。また「東京コンクール・デレガンス」「浅間ヒルクライム」などの自動車イベントでも立ち上げの段階から関与したほか、自動車博物館「ワクイミュージアム(埼玉県加須市)」では2008年の開館からキュレーションを担当している。
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