オート三輪を復活させた
マツダがまだ東洋工業を名乗っていた頃、自社初となる自動車の開発に成功したオート三輪「K360」。現在61歳の内藤重彰さんが1964年頃に北海道函館市で牛乳配達用として活躍していたクルマを思い出し、製作したのがこちらのK360だ。詳しく紹介しよう。
当時の大人気車は現代でもレトロブームで入手困難
時代は1959年、戦後の日本を好景気へと導くべく、マツダがまだ東洋工業を名乗っていた頃、自社初となる自動車の開発に成功。それがここで紹介するオート三輪のK360だった。K360は、身近な乗り物だったオートバイと便利で快適に乗れる自動車、そして荷物を運ぶトラックの良いところを合わせた形として誕生。取り回し良く、小回りが効いてパワフルに走る三輪車として、主に配達・運搬用として重宝された。
ここで紹介するオート三輪は、1964年頃に北海道函館市で牛乳配達用として活躍していたクルマを思い出し、製作された1台だった。オーナーは、現在61歳の内藤重彰さんだ。きっかけは、兄弟3人揃ってK360の前に並んで撮影した1枚の写真を見つけたことだった。当時、幼かった内藤さんにとってはうろ覚えだが、このクルマで毎日、父親が地元で愛されたストロング牛乳の配達を行っていたことを聞かされていた。とても懐かしく思い、この牛乳配達用のオート三輪を再現することを思いつく。しかし、実際にやるとなると費用面も含めて大変だったと話す。
車両探しを始めると、程度の良いK360は、なかなか手を出せる金額ではない。よくよく調べると、じつはこのK360は、その愛くるしいルックスと表情から「けさぶろう」の愛称で親しまれていて大人気。昭和レトロブームということもあって、市場で高騰していた。そのため、程度の良い車体は諦めて、レストア前提で車両探しを開始。すると、某ネットオークションで120万円のK360を発見して購入した。
レストアの苦労と対面したときの喜び
レストア作業は、地元である函館の旧車専門ショップに預け、時間をかけて作り込んでもらうことにした。ただ、当時の「内藤牛乳販売店」が使っていたクルマを再現するための資料は数枚の写真だけだった。しかも、1964年ごろのカメラといえば、モノクロフィルムの時代で、カラー写真ではないから、ボディが何色なのか? 幌の色、文字の色などの情報がまったくわからない。これについては、レストア屋さんも相当難義な仕事になった。
そこで、実家のどこかにカラー写真はないかと探してみると、1枚だけカラー写真が見つかった。日付は1967年だった。調べてみると、ちょうどこの頃にカラーフィルムが一般に広まったらしい。
そうして、何とかカラー再現ができるようになったお陰で「内藤牛乳販売店」のK360のレストア作業もスムーズに進んで完成へとどんどん近づいていく。内装も綺麗に仕上げ、ボロボロだったシートも当時の生地や色、ステッチの入れ方で作り込んだ。
完成したのは2023年の6月とのこと。一番最初にクルマを見た時に感じたことを訊くと、
「言葉にならないくらい感無量のひと言。いろいろな想いがこみ上げて胸いっぱいの気持ちになりました」
と話す。また、この日は持ってきていないらしいが、じつはうれしくて当時着ていたセーターまで再現して作ってしまったという内藤さん。このクルマの完成が待ち遠しくて、いろいろな物を考え用意してしまった気持ちは、きっとクルマ好きならわかると思う。
今後の予定は、落ち着いたら、また兄弟3人で実家に集まり、このクルマの前に並んで記念撮影をしたいと考えているそうだ。このクルマの完成は兄弟全員も喜んでいる。