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マツダ「コスモスポーツ」でニュルを84時間全開走行! ロータリーの耐久性を証明した「マラソン・デ・ラ・ルート仕様」とは?

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/佐藤正勝/宮越孝政/佐藤亮太

  • 富士スピードウェイでは、ロータリーサウンドを轟かせながら走行していた
  • 1968年マラソン・デ・ラ・ルート仕様のコスモスポーツ
  • 日本人トリオがドライブした18号車を再現したモデル
  • オーバーフェンダーやエアロパーツなどは皆無
  • ステッカーワークも実車を細かく再現している
  • 最高回転数は市販車の7000rpmをそのままに、ピックアップ特性を重視して中速性能を向上させるよう吸排気系をチューニング
  • #18号車は古我信生/片山義美/片倉正美選手の日本人トリオがドライブした
  • 富士スピードウェイのGRスープラ・コーナーを立ち上がっていくコスモスポーツ
  • 市販モデルでも標準装備化されたヘッドライトカバーは、空力的にも好結果に繋がったはず
  • ボンネットフードの見切り線直後に装着されたアクリル板は虫除けガード。アイフェル山中でのレーシングドライブでは、効果があったのだろうか
  • コクピットは幾分現代的な処理がなされているものの、ロードモデルと大きな差がなかったのは当時と同様だ
  • ロングテールが特徴的なリアビュー。この形状は、空気抵抗の低減にも随分有効だったろう
  • ボンネットに虫除けルーバーが装着
  • 現在のツーリングカーレース用競技車両と異なるのが興味深い1台
  • 実際のレースでは、ランチアやMGなどと3位争いをした

ロータリー車初の耐久レースは、84時間を走り切って4位入賞

マツダの4輪自動車によるモータースポーツの事始めは、まだ前身の東洋工業だった1964年に鈴鹿サーキットで開催された第2回日本GPです。軽自動車の「キャロル360」と、そのボディに排気量を600ccまで拡大したエンジンを搭載した小型乗用車の「キャロル600」による参戦でした。

ヨーロッパ遠征の第一歩となったのがコスモスポーツだった

結果的にはキャロル600で片山義美選手が4位入賞したものの、当時のマツダはロータリー・エンジン(RE)の開発に傾注していたこともあり、全社を挙げて、というべき力の入れようではありませんでした。そして1965年の日本GPが中止となったのを機にマツダでは、ファクトリーチームは国際舞台に専念する、との決断が下され、まずは「ファミリア800」や「ファミリア1000クーペ」で東南アジアのレースに参戦。

1966~1967年のマカオGPやシンガポールGPのツーリングカーレースでは、片山選手が優勝するなど活躍しています。その後マツダはヨーロッパにも遠征するようになりました。その第一歩となったのが「コスモスポーツ」による1968年のニュルブルクリンク84時間、いわゆるMarathon de la Route 84-hour Raceでした。

これは1周28.291kmのニュルブルクリンク・フルコース(ノルドシュライフェとスッドシュライフェ)を84時間、つまり3日半もかけて走り続けるという過酷なレースなのです。しかもREにとっては世界初の耐久レース。しかし自分たちで仕上げたREの信頼性を試してみたい、そして世界中にアピールしたい、との想いからの参戦となりました。

用意されたレースカーは2台。#18号車は古我信生/片山義美/片倉正美選手の日本人トリオに、#19号車はレオン・デルニエール “エルディ”/イブ・デプレ/ジャン-ピエール・アッカーマン“ジピア”選手のベルギー人トリオに託されることになりました。

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