ロータリー車初の耐久レースは、84時間を走り切って4位入賞
マツダの4輪自動車によるモータースポーツの事始めは、まだ前身の東洋工業だった1964年に鈴鹿サーキットで開催された第2回日本GPです。軽自動車の「キャロル360」と、そのボディに排気量を600ccまで拡大したエンジンを搭載した小型乗用車の「キャロル600」による参戦でした。
ヨーロッパ遠征の第一歩となったのがコスモスポーツだった
結果的にはキャロル600で片山義美選手が4位入賞したものの、当時のマツダはロータリー・エンジン(RE)の開発に傾注していたこともあり、全社を挙げて、というべき力の入れようではありませんでした。そして1965年の日本GPが中止となったのを機にマツダでは、ファクトリーチームは国際舞台に専念する、との決断が下され、まずは「ファミリア800」や「ファミリア1000クーペ」で東南アジアのレースに参戦。
1966~1967年のマカオGPやシンガポールGPのツーリングカーレースでは、片山選手が優勝するなど活躍しています。その後マツダはヨーロッパにも遠征するようになりました。その第一歩となったのが「コスモスポーツ」による1968年のニュルブルクリンク84時間、いわゆるMarathon de la Route 84-hour Raceでした。
これは1周28.291kmのニュルブルクリンク・フルコース(ノルドシュライフェとスッドシュライフェ)を84時間、つまり3日半もかけて走り続けるという過酷なレースなのです。しかもREにとっては世界初の耐久レース。しかし自分たちで仕上げたREの信頼性を試してみたい、そして世界中にアピールしたい、との想いからの参戦となりました。
用意されたレースカーは2台。#18号車は古我信生/片山義美/片倉正美選手の日本人トリオに、#19号車はレオン・デルニエール “エルディ”/イブ・デプレ/ジャン-ピエール・アッカーマン“ジピア”選手のベルギー人トリオに託されることになりました。