ダイハツ軽カーの中核をなすモデル
ダイハツ「ミラ」は、もともとは「フェローMAX」から発展した「MAXクオーレ」からのモデルチェンジで1980年に登場した軽乗用車の「クオーレ」の商用車版として、「ミラ・クオーレ」の名が与えられたのが初出。もちろんスズキから1979年に登場したあのクルマ……47万円の初代「アルト」に対抗するための車種で、1981年には2シーターも登場、さらに1982年のマイナーチェンジを機に車名からクオーレを外し、以降、ミラを名乗り、ダイハツの軽自動車の中核をなすモデルに。
仕様は当時のトヨタ マークIIさながら
今でこそスーパーハイトワゴンの「タント」や「ムーヴキャンバス」といった、大容積型実用車に主役の座を譲った感はあるものの、ダイハツの軽自動車といえばミラ……そんな時代は長く続いた。
イタリア語で「羨望の的」の意味を持つ車名が与えられたミラだが、奇しくも同じイタリア語の「才能などが秀でた」の意味をもつ車名で実利重視だったアルトに対して、名は体を表わすの言葉通り、まるで「ガイシャ」のような、雰囲気の楽しめるコンパクトカーに仕上げられていた。最初の最廉価版のミラ・クオーレ・Aタイプの価格は49.3万円だった。
ところでこの初代ミラでは、とくにスタイリングが今見ても秀逸な出来栄えだったと思う。ダイハツ自身が「1.5ボックス」とうたった、スラントさせた短いノーズと1370mmの当時としては背の高いキャビンの組み合わせ、先代のMAXクオーレ+60mmの2150mmのホイールベースは、当時の軽自動車としては画期的な斬新さ。いたずらに豪華さを狙ったわけでもなく、あくまでもプレーンなところに好感がもてた。
スタイルということでは先代のフェローMAXではハードトップを設定、1970年代の時代背景もあってややゴージャス志向に走ったもの。けれど1977年にダイハツは小型車の初代「シャレード」を登場させ、シンプル指向を打ち出した。初代ミラはその流れをくむものでもあった。
ちなみに1985年にフルモデルチェンジを実施した際、この初代のイメージを色濃く残したスタイルだったことからも初代のスタイルがいかに評判がよかったかがわかる。それと、1991年にフィアットからもっともコンパクトなモデルとして登場した「チンクェチェント」が、時系列でいうとこのミラに非常に似ていたと思った方もおられるかもしれない。もちろん両車の関係性はなかったはずだが、イタリアのフィアットがミラのことを承知のうえでスタイルを寄せてきたのだとしたら、ミラに拍手を送りたい気持ちになったことが懐かしい。
懐かしいといえば、じつは初代のミラには筆者の家族が乗っていたことがあった。それは初代の終盤近く、1985年に「ミラパルコ」と前後して発売された限定車で(車名は「キャトレ」といった)、白いボディカラーにワインレッドの内装(たしかカーペットもインパネもコンソールも「赤」だった)、ブロンズガラス、アルミホイール、ドアミラー等々、仕様だけ聞くとあたかも当時のトヨタ「マークII」さながらのクルマだった。