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およそ78億円! 2023年最も高額だったのはフェラーリでした。4台しか製造されなかった「330LM/250GTO」のヒストリーとは

およそ78億円! 2023年最も高額だったのはフェラーリでした。4台しか製造されなかった「330LM/250GTO」のヒストリーとは

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TEXT: 武田公実(TAKEDA Hiromi)  PHOTO: 2023 Courtesy of RM Sotheby's

ニュルブルクリンクからル・マン、そしてシチリアのヒルクライムで活躍

今回のオークションに出品されたシャシーNo.#3765は、わずか3台のみが製作された4Lエンジン搭載車両のGTO、いわゆる「330LM/250GTO」のなかでも、さらに当初から4Lで製作された唯一のワークスマシンとして認知されている。

このエンジンは、いわゆるコロンボV12の進化形でもある「400スーパーアメリカ」用と同じ3967ccとされたが、ドライサンプ潤滑に変更されるとともに専用の3連キャブレターとカムシャフトでチューニングされた。ファクトリービルドシートなどのドキュメントが示すように、4Lのエンジン番号「42SA」は1962年5月にテストされ、シャシーNo.#3765に4速MTとともに搭載された。

そして5月27日の「ニュルブルクリンク1000km」にて、スクーデリア・フェラーリからデビュー。ワークスドライバーのマイク・パークス/ウィリー・メレッセ組のドライブで、クラス優勝と総合2位に輝いた。

さらに、当時ル・マンに照準を合わせていたフェラーリのファクトリーは、#3765から3キャブレター・エンジンを取り外し、6基のウェーバー42 DCNキャブレターを組み合わせ、390psを発生した2基目のエンジン「48SA」へと換装した。

1962年のル・マン24時間レースでは、スクーデリア・フェラーリは合計4台をエントリーさせ、うち2台は4リッタークラス、最終的に優勝した「330TRI LM」と今回の4リッターGTOであった。残りの2台は、ミッドシップの「ディーノ」レーシングスポーツだった。くわえてプライベーターがエントリーした250GTOが4台も加わり、合計13台のフェラーリがスターティンググリッドに並んだ。

木曜日の予選では、マイク・パークスが高トルクの4Lエンジンと4速MTを上手く使いこなし、4番手スタートを決める。ところが肝心の決勝では、想定外のアクシデントやオーバーヒートに見舞われ、スタートから約8時間後にリタイアを余儀なくされた。

そして1962年シーズン終了をもって、各レースで試験的に設定された4リッタークラスは廃止となったため、フェラーリは#3765をプライベーターに販売するために必要な改修を施すことになる。

1962年11月、#3765はトリエステ在住のピエトロ・フェラーロに払い下げられるとともに、1963年5月には250GTO仕様に改造するためにマラネッロに戻された。このとき、#3765はファクトリーで「ティーポ128LM/63」仕様の3基目のエンジン「670/62E」を搭載。同じく250GTO仕様の5速ギヤボックスが組み合わされている。

そののち1964年の7月に、フェラーロはGTOで「トリエステ・オピチーナ・ヒルクライム」に出場し、クラス5位に入賞したが、それから間もなくシチリア島パレルモのフェルディナンド・ラッテリにGTOを売却する。

ラッテリは、#3765を地元シチリアで開催されるレースイベントに焦点を当てていたものの、彼とコ・ドライバーのイニャツィオ・カプアーノは、最重要視していた1965年の「タルガ・フローリオ」を完走することができなかった。

それでもラッテリと#3765はヒルクライムで健闘し、シーズン終了までに総合優勝3回、総合2位2回(いずれもクラス優勝)、クラス3位1回を獲得。1965年のシチリア・ヒルクライム選手権でシリーズ準優勝を得た。

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