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およそ78億円! 2023年最も高額だったのはフェラーリでした。4台しか製造されなかった「330LM/250GTO」のヒストリーとは

5170万5000ドル(邦貨換算約78億6400万円)で落札されたフェラーリ「330LM/250GTO」(C)Courtesy of RM Sotheby's

2023年の最高額落札! フェラーリ330LM/250GTO

そろそろ終わりを告げようとしている2023年。相変わらずの活況を呈しているクラシックカー/コレクターズカーの国際マーケットでは、今年も数多くの高額取引のニュースが伝えられた。そんな中でも、本年最高額の販売価格が11月4日のRMサザビーズ「The One」オークションにて叩き出された。車両はやはり、フェラーリ。現代のクラシックカービジネスを象徴するモデルである「250GTO」のなかでも、特別な4Lエンジンと確たるレースヒストリーを持つ1台だった。

伝説の「GTO」は、レースのために生み出された

1962年シーズンから、FIA「ワールド・スポーツカー・チャンピオンシップ(WSC)」では、前年までの3000cc以下のレーシングスポーツカーから転じて、GTカテゴリーに選手権が懸けられることになった。それまで「250テスタロッサ」を擁してWSCの覇権を握っていたフェラーリが、新レギュレーションによるWSCを再び完全制覇するという目的のために開発・製作されたGTコンペティツィオーネこそ250GTOだった。

250GTOは、その誕生から遡ること3年前となる1959年から製作され、すでにFIA-GTカテゴリーにホモロゲート済みであった250GTのエヴォリューション版として開発。直接のベースモデルとなった250GT-SWBと同じ、ホイールベース2400mmのショートシャシーを使用し、レースでは大成功を収めつつも旧態化が目立ち始めていた250GT系のボディを、鬼才ジョット・ビッザリーニが文字どおり現場合わせでリファインしたものである。

総アルミ製のボディは大胆なライトウェイト化を図るとともに、エアロダイナミクスについても、当時としては徹底的に追及されたもの。またスカリエッティ製のボディは、ビッザリーニが得意としていた「コーダ・トロンカ」様式とされ、獰猛ななかにも独特の美しさを湛えるものとなっていた。

1964年にはピニンファリーナのデザインによって、250LMで導入された当時最新の空力テクノロジーを投入した「セコンダ・セリエ(シリーズ2)」、いわゆる「250GTO/64」も3台のみ製作されている。

いっぽう、V型12気筒SOHC・2953ccのエンジンは、250テスタロッサですでにパワー、信頼性ともに証明済みであったアウトサイドプラグヘッド&ドライサンプ潤滑式ユニットを搭載。テスタロッサ(赤い頭)の語源である、赤い結晶塗装のカムカバーも継承されていた。また、1962年のル・マン24時間レースほか、GTカテゴリーに4リッタークラスも設定されるレースに向けて、330LMシリーズと同じ4Lエンジンを搭載した車両も、ごく少数が製作された。

250GTOに懸けたマラネロの目論みは見事に効を奏し、最大の目的たるFIA-WSC選手権では、1962〜1964年の3年連続でワールドタイトルを獲得。また、1963年のル・マン24時間レースでは、同じフェラーリの250Pを筆頭とする格上のスポーツプロトタイプ勢に割って入り、GTカテゴリーとしては大金星とも言うべき総合2位に入賞するなど、素晴らしい戦果を残すことになる。

そして現代では、ヒストリックフェラーリ最強のカリスマとして、世界中のフェラリスタにとって羨望の的となっている250GTOは、プロトタイプや前述の4リッター版、250GTO/64をすべて合わせてもわずか39台しか作られておらず、現在ではフェラーリに限らず、すべてのヒストリックカーの中でももっともマーケット価値の高い自動車として知られているのだ。

ニュルブルクリンクからル・マン、そしてシチリアのヒルクライムで活躍

今回のオークションに出品されたシャシーNo.#3765は、わずか3台のみが製作された4Lエンジン搭載車両のGTO、いわゆる「330LM/250GTO」のなかでも、さらに当初から4Lで製作された唯一のワークスマシンとして認知されている。

このエンジンは、いわゆるコロンボV12の進化形でもある「400スーパーアメリカ」用と同じ3967ccとされたが、ドライサンプ潤滑に変更されるとともに専用の3連キャブレターとカムシャフトでチューニングされた。ファクトリービルドシートなどのドキュメントが示すように、4Lのエンジン番号「42SA」は1962年5月にテストされ、シャシーNo.#3765に4速MTとともに搭載された。

そして5月27日の「ニュルブルクリンク1000km」にて、スクーデリア・フェラーリからデビュー。ワークスドライバーのマイク・パークス/ウィリー・メレッセ組のドライブで、クラス優勝と総合2位に輝いた。

さらに、当時ル・マンに照準を合わせていたフェラーリのファクトリーは、#3765から3キャブレター・エンジンを取り外し、6基のウェーバー42 DCNキャブレターを組み合わせ、390psを発生した2基目のエンジン「48SA」へと換装した。

1962年のル・マン24時間レースでは、スクーデリア・フェラーリは合計4台をエントリーさせ、うち2台は4リッタークラス、最終的に優勝した「330TRI LM」と今回の4リッターGTOであった。残りの2台は、ミッドシップの「ディーノ」レーシングスポーツだった。くわえてプライベーターがエントリーした250GTOが4台も加わり、合計13台のフェラーリがスターティンググリッドに並んだ。

木曜日の予選では、マイク・パークスが高トルクの4Lエンジンと4速MTを上手く使いこなし、4番手スタートを決める。ところが肝心の決勝では、想定外のアクシデントやオーバーヒートに見舞われ、スタートから約8時間後にリタイアを余儀なくされた。

そして1962年シーズン終了をもって、各レースで試験的に設定された4リッタークラスは廃止となったため、フェラーリは#3765をプライベーターに販売するために必要な改修を施すことになる。

1962年11月、#3765はトリエステ在住のピエトロ・フェラーロに払い下げられるとともに、1963年5月には250GTO仕様に改造するためにマラネッロに戻された。このとき、#3765はファクトリーで「ティーポ128LM/63」仕様の3基目のエンジン「670/62E」を搭載。同じく250GTO仕様の5速ギヤボックスが組み合わされている。

そののち1964年の7月に、フェラーロはGTOで「トリエステ・オピチーナ・ヒルクライム」に出場し、クラス5位に入賞したが、それから間もなくシチリア島パレルモのフェルディナンド・ラッテリにGTOを売却する。

ラッテリは、#3765を地元シチリアで開催されるレースイベントに焦点を当てていたものの、彼とコ・ドライバーのイニャツィオ・カプアーノは、最重要視していた1965年の「タルガ・フローリオ」を完走することができなかった。

それでもラッテリと#3765はヒルクライムで健闘し、シーズン終了までに総合優勝3回、総合2位2回(いずれもクラス優勝)、クラス3位1回を獲得。1965年のシチリア・ヒルクライム選手権でシリーズ準優勝を得た。

アメリカでの余生、そしてフェラーリ史上最高額のハンマープライス

ラッテリはフェラーリ250GTO#3765とともに、1966年3月にもヒルクライムでクラス優勝を果たしたのち、1967年初頭にはGTOをファクトリーに返却した。

それから数カ月ののち、#3765は大西洋を渡り、カリフォルニア在住の愛好家が入手。レーシングカーとしての役割は終え、コレクションとして注目を集めはじめ、いくつかのコンクール・デレガンスで受賞した。

1974年にはアメリカン・モーターズ社のエンジン設計部門マネージャーとして働くかたわら、FCA(フェラーリ・クラブ・オブ・アメリカ)会長でもあったフレッド・レイドルフが購入。自動車デザインの歴史を展示するショーなどにも姿を見せるようになる。

そして1985年4月、レイドルフはオハイオ州在住の熱心なコレクターである現オーナーに#3765を譲渡。以後は、現在に至るまで度重なるレストアやメンテナンスを受けながら、北米各地のサーキットイベントやツーリング、コンクールなどに姿を見せていた。特にコンクールでは、今世紀に入ったのちも「ペブルビーチ」や「アメリア・アイランド」などの一流どころで目覚ましい成果をあげている。

さらには「Sports Car Graphic」、「Road & Track」、「Autosport」などの雑誌で当時のレースキャリアが記録されているほか、フェラーリに特化した現在の「Prancing Horse」や「Cavallino」などの専門誌で何度も紹介されている。

この330 LM/250GTOには、初期の歴史を明らかにする公式ドキュメントが残されており、その中には2組のビルドシート(ニュルブルクリンクとル・マンに向けてファクトリーが作成したもの)や、1963年5月に本社ファクトリーで行われた250 GTO仕様への改装の概要を記した3枚目のスペックシート(現在搭載されているエンジンへの換装も含む)も含まれている。

そしてRMサザビーズ北米本社は、このクルマただ一台だけを商品とするオークション「The One」をニューヨークで開催することを決定。実に6000万ドルという、驚きのエスティメートが設定された。

こうして11月13日に、ニューヨークで行われた競売ではエスティメートにこそ届かなかったものの、2023年のオークションで落札された自動車としては最高額。また、歴代のフェラーリとしても最高額に相当する5170万5000ドル、邦貨換算すれば約78億6400万円で小槌が落とされることになった。

この落札価格は、2022年5月に同じくRMサザビーズのオークションでメルセデス・ベンツ「300SLRウーレンハウト・クーペ」がたたき出した1億5000万ユーロ、当時の日本円換算で約184億円というハンマープライスには及ばない。しかし、あのオークションには「メルセデス・ベンツ基金」に売り上げを寄付するなどのイレギュラーな要素も含まれていたことから、今回の落札価格は通常のクラシックカーマーケットにおけるハイエンド、と見る向きもあるようだ。

ともあれ、波乱にとんだ2023年のクラシックカー業界も、ひとときの休眠に入る。来年はどんなクルマがマーケットに現れるのか? 興味は尽きないのである。

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