W16クアッドターボで「人類の夢」というべき超高性能を実現
VWグループ傘下のブガッティは、手始めにヴェイロンから市販に移すと発表する。ところが、そこからの道のりは長く厳しいものとなった。
それでも2000年9月のパリ・サロンにて、シリーズ生産を意識した最初のブガッティ・プロトタイプ「EB16.4ヴェイロン」が初公開される。前年に発表された第1次コンセプトカーとの最も大きな違いは、シリンダーの数である。それまでの18気筒に代えて、ピエヒ博士とブガッティ技術陣は16気筒への仕様変更を決定していたのだ。
これは、ピエヒ博士が新たな指針とした「1000ps以上のパワー」と「400km/h以上の最高速度」を達成するためには不可避的な方策だった。これだけのパワーを得るにはターボ過給が必須条件なのだが、そのためには3つのバンクを持つ複雑怪奇なW18ユニットは、レイアウト上および熱対策上でも極めて不利と判断されてしまったのだ。
そこでブガッティ技術陣は、やはりフォルクスワーゲンに端を発する「W8」ユニットを二重化したW型16気筒8Lという、これまた前代未聞のパワーユニットを開発する。
もともとバンク角15度の挟角V型4気筒を、さらに90度のバンク角でV型につないだW型8気筒ユニットは、伝統的なV8エンジンより軽くてコンパクト。それを2基つないだうえに、アルティオーリ時代の「EB110」と同様に4つのターボチャージャーを組み合わせ、1000ps以上のパワーを目指すとされた。
そして、この凄まじいパワープラントにフルタイム4WDのドライブトレインを介して 400km/hを超えるスピードをもたらす。それが、ヴェイロンの揺るぎない目標となった。
ところが、この恐るべき出力と超高速に耐えられる変速機(当初の7速ATから7速DSGに変更)やタイヤ(ミシュランとの共同開発による専用品)などの開発に時間を要したことが主因となって、その正式デビューは幾度となく先送りされてしまったものの、それでも2001年になると、新生ブガッティはヴェイロンの限定生産を行う旨を、ついに明かした。
生産型ヴェイロンEB16.4の8L W16・4ターボエンジンは、1001psのパワーと1250Nmのトルクを発生。406km/hという最高速度に加えて、0-100km/h加速タイムはじつに2.5秒という、まさしく「人類の夢」ともいうべき超高性能を、新しいハイパーカーにもたらすことが発表されたのだ。
生産型のヴェイロン16.4が正式なワールドプレミアに供されたのは、それからさらに4年後となる2005年の東京モーターショーのことだった。
「ハイパーカー」の象徴的存在へと成長
その後のブガッティの活躍は、AMW読者諸賢もご存知のとおりである。21世紀初頭における「ハイパーカー」の概念を牽引するブランドとして君臨し、複数の派出モデルを含むヴェイロンは、2015年までに300台を生産。翌2016年には後継車「シロン」が登場する。シロンではヴェイロン時代以上に数多くの派出リミテッドエディションが設定されたほか、「ディーヴォ」や「チェントディエチ」といった、まったく別のボディを持つ兄弟モデルもごく少量が生産されるなど、2010年代後半以降のブガッティは、まさしく百花繚乱の様相を呈している。
そして2021年7月5日、ブガッティは新たな局面を迎えることになった。EVハイパーカーの分野で世界をリードする東欧クロアチアの新興企業「リマック」とともに、新合弁会社が設立されることが正式に公表されたのだ。
ポルシェの仲立ちもあって新生ブガッティ・リマック社CEOとなったのは、リマック創業者のマテ・リマック氏。グローバル本社は、クロアチアの首都ザグレブ近郊に建設された、同社の研究・開発機関を併設するファクトリー「リマック・キャンパス(Rimac Kampus)」に置かれるとのことである。
いっぽう、これまでのブガッティ・オトモビルS.A.S.は、仏モールスハイムの「メゾン」に今後とも残り、超ド級ハイパーカーに求められる職人技による製作・コーチワーク技術、カーボンファイバーなどの軽量マテリアル、そしてユニークで経験豊富なネットワークなど、すべてのノウハウを新生ブガッティ・リマックにもたらしてゆくという。
ひと頃は絶対的な既定路線となっていた自動車の電動化への道筋が、ここしばらくは再び混沌の様相を見せ始めている現在。エットレ時代の直列4気筒と直列8気筒、アルティオーリ時代のV12クアッドターボ、そしてピエヒ時代のW16クアッドターボ。それぞれの時代のブガッティを印象づけてきたガソリンエンジンの息吹と本当に決別するのか否かは、じつに興味深いところである。
前世紀末、ブガッティとその夢に人生を賭けようと決意しながらも、志なかばで挫折。それでも、今なおブガッティというブランドには格別の敬愛の想いを持つものとして、この先の行く末を見届けたいと願っているのである。