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スバルとポルシェが融合した「レガシィ ブリッツェン」のオーナーは平成生まれ! ビデオで憧れた「B4」が忘れられずゲット

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TEXT: 酒寄俊幸(SAKAYORI Toshiyuki/gasgraphix)  PHOTO: 酒寄俊幸(ガスグラフィックス)

  • 2000年式スバル「レガシィ ブリッツェン」と、オーナーの大田銀次郎さん。この3代目BE型は製造が1998年からのため、福岡キューマルミーティングには正式に参加可能なのだ
  • プレミアムレッドと独特のエアロにより、一目でブリッツェンと分かる佇まい
  • グリルとフロントバンパーが、ポルシェデザインによる専用パーツ
  • センター部分が低く構えた、独創的デザインのリアスポイラー
  • スポークやセンターパートなど、エッジではなく緩やかな曲線で構成されたブリッツェン専用ホイール
  • フロントグリル部分にブリッツェン専用エンブレムが装着される
  • マフラーは大田さんの好みで柿本レーシングのカキモト・Rに変更済み
  • リアにもブリッツェン専用エンブレムが装着されている
  • 1オーナーで低走行車だったため、内装のとても美しい状態だった
  • フロントスポーティバケットシートも使用感や経年劣化が見られない美しさ
  • 大田さんは当時物のカタログも入手。「ブリッツェン」としては初代モデルとなるこのBE型のイメージカラーが、プレミアムレッドだった
  • ボンネットフードはブリッツェン専用のアルミ製が採用されている
  • スポーティ感を上品に演出したリアまわり。ポルシェデザインという高級ライフスタイルブランドならではのセンスだ
  • 「ブリッツェン」とは、ドイツ語で「稲妻が輝く」という意味

ポルシェデザインが手掛けたエアロを纏う

1990年から1999年に生産された車両のミーティングということで、その名もズバリ「キューマル」。当時はバブルの影響もあり、自動車メーカー各車がそれなりの予算と威信をかけて、さまざまな車両を開発してきた。それゆえ、なぜこんなものが? と今では考えられない個性豊かな車種にあふれていたのだった。ここではスバル「レガシィ ブリッツェン」を紹介しよう。

幼少期に観た「B4 RSK」のカッコよさに一目惚れ

スバルは、以前より特別仕様車の設定が多いメーカーである。モータースポーツ部門を担うスバルテクニカインターナショナル(以下STi)という専門の会社があることが理由のひとつだが、とりわけ歴代「レガシィ」の中でも1998年から2003年まで製造された3代目。いわゆるBE/BH系から、STi監修による車両が積極的にリリースされた印象がある。今回紹介する真っ赤な「レガシィB4」もそんな時代に誕生した、貴重な特別仕様車なのだ。

ベース車両は3代目「レガシィB4 RSK」。ワゴンとセダンの2種類のボディタイプで席巻していたスバルが、この3代目のセダンを「B4」と名付け、スポーティグレードへと設定変更しワゴンと差別化している。特に「RSK」と呼ばれた最上級グレードは、名機と呼ばれた水平対向4気筒2000ccのEJ20ターボを搭載し、5速MT仕様で280ps(4速ATで260ps)を達成。

そしてその外装類の意匠をドイツのポルシェデザインが手掛けるという、夢のようなコラボレーションを実現し、その後シリーズ累計7モデルが作られた「レガシィ ブリッツェン」のファーストモデルである。

こちらのオーナーである大田銀次郎さんは、まだ27歳の平成生まれ。2000年式の愛車とは、4歳しか歳の差が離れていないが、彼もまた、20歳代の“キューマル”車オーナーだった。

「僕がレガシィB4を意識したのは、子供の頃に見たビデオの影響ですね。クルマ好きの母親が当時クルマを乗り換える際に、その時の担当の方が僕にプレゼントしてくれたんです。その方はダイハツの方でしたけど(笑)」

大田さんが影響を受けたという内容は、「レガシィB4」と同じカテゴリーにあるライバル車との比較企画だったそうだ。BMW、スカイラインといった車両の中で、特に「B4」の存在に目を奪われたそう。その後、18歳で免許取得後にしばらくは母からのおさがりでダイハツ「ムーブ」に乗っていたが、初めて自分で手に入れたのが4代目「レガシィ」BL後期となった。

その時点で3代目「レガシィB4」にも興味はあったが、すでに古いクルマだったこともあり、維持費の事を考えて断念。しかし、結果的には愛車となったBLも故障個所が増えてきたことで、その後は初代ホンダ「ヴェゼル」(RU型後期)へと乗り換え、2年前まではスバルライフから遠ざかっていたのだった。

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