ロータリーエンジンを搭載していたモデルもあった
交通のペースをリードできるクルマ。そんな車名をもつマツダの「レア車」だったのが、この「ロードペーサーAP」だ。2022年6月に発行された「マツダ百年史・図鑑編」にも4分の1ページのスペースを割いて紹介されており、「国際分業によって誕生したマツダ乗用車のフラッグシップ」とある。フラッグシップはルーチェだったのでは? と思われる向きもあろうが、「ロードペーサーAP」はそのさらに上級クラス、国産車でいえば日産「プレジデント」、トヨタ「センチュリー」相当の『立派な』大型サルーンとして一時期用意された。
「ホールデンHJプレミア」がベースだった
予備知識がなくてもロードペーサーAPの外観は、見た瞬間に「アメ車だな」とわかるスタイリングをしていた。それもそのはずで、ロードペーサーAPは見てのとおりマツダのオリジナルではなく、GM由来のオーストラリア・ホールデン社のインターミディエイトクラスの「ホールデンHJプレミア」がベース。そのボディ・シャシーを部品として(詳しくは後述)マツダが受け取り、完成車としたものだった。
ちなみに当時、いすゞも同様の手法で「ホールデン ステーツマン デ ビル」を輸入販売。このモデルはマツダのロードペーサーAPのより上級に当たるモデルでもあった。ちなみにコチラはオーストラリア市場のV8の5046ccエンジン搭載車をもってきた。
当時のパンフレットの写真はそのクルマだが、日本仕様化にあたりフェンダーミラーが装着されている。あえてパンフレットの写真の並びのまま撮影しておくが、このフェンダーミラーを写真で見て、当時の117クーペのそれであることにお気付きになっただろうか?(元・117クーペオーナーの筆者はソコに激しくササった)。
また同時代の三菱でも、オーストラリア市場向けのクライスラー318(セダン)、チャージャー770(クーペ)を少量ながら日本で販売。両社とも5200cc(=318キュービックインチ)のV8を搭載したクルマだった。
さてここでマツダ ロードペーサーAPに話を戻すと、ボディサイズは全長4850mm×全幅1885mm×全高1465mm、ホイールベースは2830mmと、当時としては実に堂々たるものだった。後方に向かってなだらかに下降させたトランク部分こそ軽快感を出していたものの、フロントマスクは丸型4灯ヘッドライトとメッキのグリル、バンパーの組み合わせで、天地に比較的薄い造りながら、立派な押し出し感があったことは今、カタログ写真からも感じ取れる。
ちなみに販売時期は1975年から1979年の4年ほどだったが、途中1977年にはマイナーチェンジを実施。この時のフロントグリルのパターンが細かな横格子パターンから、全体を大きく10に分割させた縦基調のものに改められるなどしている。