50ccエンジンを積んだ小さなレプリカ原付カーBUBU 505-C
レプリカ(replica)といえば元々は美術の世界で「本人のオリジナル作品をその作者自身が模写・複製したもの」を意味したが、現在では単に複製という意味で広義に使われている。そしてクルマの世界で「レプリカ」といえば、現代のクルマのコンポーネンツを流用して往年の名車を再現したものを指す場合が多い。そんなレプリカが頻繁に作られるようになったのは1960年代半ば頃からだろうか。その頃に生まれたレプリカ車といえば、この手の先駆けとも言えるメルセデス・ベンツの「SS」を模したアメリカの「エクスキャリバーSS」、ジャガー「SS100」を模したイギリスの「パンサーJ72」などがよく知られた存在であろう。
戦前のスポーツカーに敬意を表したレプリカ車の系譜
英国流の時代分類で言えばヴィンテージ期(1919年~1930年)からポスト・ヴィンテージ期(1931年~1939年)に生まれた「元ネタ」となった本物は希少かつ高額に過ぎるということから、その雰囲気を気軽に楽しめるレプリカ車は世界中の好事家たちから一定の支持を集めることとなった。
これらレプリカ車を手がけるメーカーは小規模な工房であることがほとんどであったが、中にはアルファ ロメオ「グランスポルト クアトロルオーテ」のように、メーカー/カロッツェリア自らが自社のヘリテイジを現代に蘇らせた例なども存在する。
ちなみに1971年には日本でも「世界クラシックカーフェスティバル」と銘打ったアメリカのハーラーズ・オートモービル・コレクションの展示巡業が行われるなど、世界的に「クラシックカー」に脚光が当たっていた時期。そんな時代的な背景も、この時代に多くのレプリカ車が生まれた遠因かもしれない。
80年代のBUBUオリジナル・ゼロハンカーの中の異端児
AMW取材チームの目の前に佇むのは、これもまた一種のレプリカ車というべきか。見た目は1935年にデビューしたジャガーの出世作SS100(ハンドレッド)、さらにそれを模したパンサーJ72をモチーフにしていることは明白だが、異なるのはそのサイズ。これは全長2.5mほどの小さな1人乗り原付カー、「BUBU 505-C」である。現在では「ビュート」や「バディ」などをリリースするユニークな自動車メーカーとして知られる光岡自動車が、1985年にリリースしたモデルだ。
原付免許で乗れて操作が簡単、安全で経済的なミニマム・トランスポーターを目指してかねてより開発を進めていた光岡自動車が、「BUBUシャトル」と名付けたオリジナル原付カーを発表したしたのは1982年のこと。
「“いつでも”、“どこでも”、“だれにでも”手軽に乗れる」をコンセプトに生まれた同社の原付カーは「BUBUオリジナル・ゼロハンカー」と呼ばれ、その後「BUBU501」、「502」、「503」、「504」と続々とラインナップを増やしていく。それらはいずれもオリジナル・デザインの1人乗り原付カーとして、耐候性を考慮したキャビンや、車種によってはドアまで備えていた。
しかしそんな実用ツール的なラインナップの中で、この505-Cだけが実在するクラシックカーをモチーフとした趣味的なオープンボディという異色の存在となっている。